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木村拓哉がSMAP騒動後初のインタビューで語った矛盾だらけの言葉!「僕はアンチジャニーズ」「ビジネスより人との信頼」 [SMAP 木村拓哉]

木村拓哉がSMAP騒動後初のインタビューで
語った矛盾だらけの言葉!「僕はアンチジャニーズ」
「ビジネスより人との信頼」

木村拓哉.GIF


先日、『FNS27時間テレビフェスティバル!』
(フジテレビ)で明石家さんまが中居正広に
SMAP騒動のことをツッコみ、大きな話題になった。

「なんで曲、出さへんねん」
「俺は木村派と思ってるかもしれへんけど、
SMAP派やから」

「飯島さんはどーしてんねん、
それだけ教えてくれ」

こうした厳しいツッコミに中居は
タジタジになりながらも、

しかし、明確な言葉ははっきり口にせず、
SMAPの今後について前向きな発言も
一切しなかった。

ならば、その中居といまも決裂状態が
続いていると言われる木村拓哉はどうなのか。

実は7月20日発売の「SWITCH」
(スイッチ・パブリッシング)
8月号が木村拓哉特集を組み
ロングインタビューを行っている。
そもそも、この特集には、
「木村拓哉 アウトローへの道」という、
木村のイメージからするとかなり違和感の
あるタイトルがつけられているのだが、
そのなかで、木村がいくつか興味い
深い発言をしているのだ。

「どちらかというと、アンチジャニーズだった」

まず、インタビューの最初の方に登場するのが、
こんなセリフだ。

キムタクがアンチジャニーズ? 

今回の解散騒動で育ての親である
飯島三智マネージャーを裏切り、
唯一ジャニーズ側についたくせに
何を言っているのか、
と思わずツッコミたくなるが、
これは木村が10代のころを振り返っての発言だ。

木村が10代のころのジャニーズといえば、
歌って踊れるキラキラしたアイドルが
当たり前で、ジュニア時代は木村も
先輩である光GENJIのバックで踊っていた。

だが、木村はそのジャニーズ的なアイドル像に、
かなり違和感をもっていたらしい。

「でも、片や自分は学校に通いながら、
それこそ当時スーパーアイドルと呼ばれていた
人たちの後ろでテレビに映りこんでいたわけで。
そんな環境の矛盾に反発したかったのか、
気づけばガンズ&ローゼズとか、
スキッド・ロウとか、耳にするもの袖を
通すもの全てがロックになっていた」

そんなエピソードを公開した上で、
木村は10 代の自分を
「アンチアイドルだったし
アンチジャニーズだった」
総括しているのだ。

しかし、だとしたら、そのジャニーズに
違和感をもち、悩んでいた自分を救って
くれたのが誰だったかキムタクは
覚えていないのだろうか。

SMAPが結成された当初は、木村が
ジャニーズに違和感を抱いていただけでなく、
ジャニーズ側もSMAPのことを完全に
見放していた。
結成はさせたもののほったらかしで、
その扱いはひどいものだった。

そこに現れたのが、今回のSMAP解散騒動で
追放された飯島マネージャーだった。

もともとはただの事務職だった彼女が
彼らの状況を見かね、マネージャーに
なると申し出てくれたおかげで、
SMAPは救われ、大きく羽ばたいていったのだ。
まず、飯島氏が最初に目をつけたのは、
まだアイドルが本格的に進出していなかった
バラエティ番組だった。

飯島氏が何度も交渉を重ねた結果、
『夢がMORIMORI』(フジテレビ)の
レギュラーをつかみ、これをきっかけに
SMAPは世に出て行くことができたのだ。

さらに、飯島氏はSMAPの俳優としての道
切り開いた。

それまでのジャニーズ事務所は自社タレント
がドラマに出演する場合、主演以外、
イケメン待遇以外は許さないという方針
徹底して貫いていた。

それを、飯島マネージャーは覆し
1993年に放送された『あすなろ白書
では木村を3番手扱いの役で出演させた。

さらに、草なぎ剛を売り込み
イケメンではないお人好し役として
『いいひと。』に主演させたり、
SMAPメンバーがアイドルの余技ではない
本格的な俳優としての評価を得られる
ようにした。

他にも、飯島氏は、音楽やPVに積極的に
新進気鋭のアーティストや若手注目
クリエイターなどを起用し
アイドル誌ではなく、ファッション誌や
カルチャー誌での露出も増やしていった

こうして飯島氏が奔走し、それまでの
ジャニーズアイドルにはありえなかった
さまざまな新機軸を打ち出していったことで、
「アイドルとしてアウトロー」だった
キムタク、そしてSMAPは時代にふさわしい
国民的アイドルになっていったのだ。

自分がアンチジャニーズだったと言うなら、
その自分を救い、大きく育ててくれた
恩人をなぜ裏切り、ジャニーズ側に
ついたのか聞いてみたいところだが、
キムタクはこのインタビューで、
さらに矛盾に満ちた言葉を発している

それは、現場のスタッフや仕事の仕方に
ついて、話が及んだときのことだ。

木村はこんな言葉を口にしていた。

「僕は“仕事”はするけど“ビジネスライク”
が嫌いなんです。『この人だから』
という信頼が、自分にとっては何よりも大きい」
「お客さんでもスタッフでも、自分を見てくれる人に
何らかの思いを巡らせる人間でありたい、かな」

しつこいようだが、SMAP解散騒動でキムタクが
とった行動はこの言葉とはまったく逆だった

誰よりも木村のことを見てきた、もっとも
信頼関係のある飯島マネージャーを切り捨て、
まさに“ビジネス”としてジャニーズ事務所
という権力にすりよったのだ。

それでいて、なぜこういう発言を平気で
できるのか、理解に苦しむところだが、
こうした矛盾やずるさについては、
木村自身も自覚しているところがあるのか
もしれない。

このインタビューでは、ぽろりとこんな
発言もしている。

「つまりいまの自分は、いわば矛盾の
カタマリなんです」

ただ、木村が何か内省的な姿勢を示したのは、
せいぜいこの一言くらいだった。

インタビューを最後までくまなく読んだが、
解散騒動の説明はもちろんなし。

飯島氏や他のメンバーへの謝罪どころか、
そもそもSMAPのスの字も出てこなかった。

キムタクにとっての
「『この人だから』という信頼」はいまや、
メリー喜多川副社長やそのメリー氏との
間をとりもってくれた工藤静香のみに向けられ、
SMAPなんてもはやどうでもいい存在に
なっているのだろう。

キムタクのこの態度を見ていれば、
SMAP愛が強い中居や香取慎吾がSMAP復活に
前向きにならないのもよくわかる。

SMAP内部の亀裂は想像以上に大きく、
修復の見込みはない、と断言してもいいだろう。
(島原らん)

リテラ更新日:2016/08/02

https://gunosy.com/articles/R5NK8
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