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ムーディ勝山 “一発屋芸人”から地方でレギュラーを6本抱える“地方売れっ子”になったワケ [ムーディ勝山“一発屋芸人”から“地方売れっ子”]

ムーディ勝山
 “一発屋芸人”から地方で
レギュラーを6本抱える
“地方売れっ子”になったワケ

ムーディ勝山.GIF
左を向いて写真に応じるムーディ勝山

「♪右から、右から、何かが来てる~」
白のスーツ姿に蝶ネクタイ、
ゴールドのマイクを持ち歌う
「右から来たものを左へ
受け流すの歌」で
ブレイクしたお笑いタレント・
ムーディ勝山。

2007年にはCM10本、
紅白歌合戦にも出場するなど、
一躍時の人となったが、
その後は徐々に仕事が減少。

いつしか世間からは
“一発屋”と呼ばれるようになった。

そしていま、ムーディは
地方局にレギュラー番組を
6本持つという好調ぶりを
見せている。

全国放送から消えた当時の心境、
“一発屋”から現在の
“地方売れっ子”になるまでの
話を聞いた。


■「芸人人生の中で1番辛い時期」
ブレイク後に続々と“ゾッとする”
出来事が襲う


2008年から緩やかに仕事が
減っていったというムーディ。

全国テレビ放送からラジオ番組、
地方の番組、最終的に営業と形を
変えていき、とうとう仕事が
パタリと途絶えた。


「正直、ブレイクしたときは、
この状態が永遠に続くと
思っていたんです。

そのせいか、仕事がなくなった
あとでも、“売れっ子”という
プライドが自分の中に残っていて、
状況を受け入れるのに苦労しました。


当時は、これまでの芸人人生の中で
1番辛く長い獣道にいましたね」


「芸人を辞める」という言葉が
頭に浮かぶほど追い詰められていた
ムーディ。

追い打ちをかけるように、
芸能界にいる者にとっては
ゾッとしてしまう出来事が
次々と襲い掛かる。

「あるとき、マネージャーに
『予定が立てられないから
仕事のスケジュールを
送ってほしい』と頼んだら、

真っ白な紙がファックスで
届いたことがありました(笑)。

仕事がないことが
妻にバレないように、
なんの用事もないのに
家を出て行って、
一日中公園で鳩と話を
していたこともあります。


妻はなにも言わなかったけど、
気づいていたと思います。

いつも着ているスーツが
ずっと白のままだったので」


それでも、何もせず待っていた
わけではない。

存在を世間にアピールしようと、
自主的にライブを企画したこと
もあった。

だが、ここでも逆境に立たされる。

「単独ライブをお知らせした
1週間後に、チケットの
売り上げが気になって、
コンビニでチケットを
買ってみたんです。

整理番号で何枚売れているのか
わかるので。

2枚買ったんですが、
そこにあった数字は4番と5番。

その時点で3枚しか
売れてなかったんです。

『もっと告知を頑張らないと
アカン!』と思って、

SNSで宣伝して、
数日後に再び2枚購入してみると、
今度は6番7番が出てきた。

『誰も俺のSNS見てないやん…』
となって、周囲の芸人にも
告知協力してもらいました。

さすがに影響あっただろうと
思って1枚買ってみたんです。

そうしたらなんと……2番が
出てきたんですよ!

1回買った人がキャンセルして
いたんです(笑)」


また、2007年から2010年まで
東京と大阪で開催されていた、
よしもとのお笑いフェス
『LIVE STAND』での
エピソードもある。

同イベントは、
キャッチコピーに
“テレビからよしもと
芸人がいなくなる日”と
銘打つほど、
テレビに出たことのない
若手から大御所まで、
よしもと芸人が総出演する
というイベントだった。

しかし……。


「2007年の初回に出演して、
2回目出演して、そして3回目……
ブレイク収束後と同時に
呼ばれなくなったんです。

“テレビからよしもと芸人が
いなくなる日”なのに、
ライブにもテレビにも
いないんです。


僕はそれを
『JITAKU(自宅)STAND』と
呼んでいます」と、
当時の面白悲しいエピソードは
尽きることがない。

■徐々に増えていった地方での仕事 
ラジオでも白のスーツを
着用する真面目さが吉を呼ぶ



地方での仕事がスタートしたのは7年前。

ラジオ『それいけミミゾー』
(TBC東北放送)で任された
リポーターだった。

それがいまでは
「ムーディ勝山のまじ昼めし」
という、リスナーからの情報を
もとにグルメや観光地を
ユーモアたっぷりに伝える
名物コーナーとなった。


「『それいけミミゾー』は、
若手芸人が交じる中、
オーディションで出演権を
つかんだんです。

小さいコーナーでも
一生懸命やった結果、

スタッフの方に気に入って
もらえて、7年も出演させて
もらえることに。

ラジオなので、
最初のうちは自分が
いまいる場所の景色や、

どんな人がいるのかなどを
伝えるのに苦労しましたが、
回数を重ねるごとに、

リスナーからは見えないものを
詳細に伝える“リポート力”が
鍛えられました」


その評判が広まったのか、
現在は『それいけミミゾー』のほか
『ムーディ勝山のおもてなしGo Round』
(e-radio)、

『ロケットぱぁんちG』
(TSCテレビせとうち)、

『しが鉄』(NHKしが)

『ムーディ勝山の受け流さないラジオ』
(かつしかFM)、

『High! MORNING!』
(ZIP-FM)と、

6本のレギュラー番組を
抱えて忙しい日々だ。


「地方では一般の方を始め、
スタッフさんたちも
『東京でブレイクした人たち』
として、とても丁寧に接してくれて、
大物が来たような雰囲気で
もてなしてくれます。

同じ一発屋仲間の髭男爵・
山田ルイ53世さんが、
このことを “浦島太郎現象”と
名付けていて、
『地方は“竜宮城”、
東京は“現実”』なのだと
言っていました。

本当にその通りで、
“ちやほやされることを
真に受けて調子に乗らないこと”は
常に心がけています。

僕はラジオであろうと、
毎回白のスーツを着用していますし、
来たとき、帰るときの周囲への
あいさつは必ず忘れない。


そして、笑いの取りかたもかなり
気にしています。

『絶対に人を傷つけるような
笑いはしない』と」

■レギュラーが増えた理由を
自己分析「僕はどんな仕事でも
“平均点”を叩き出せるタイプ」



そうした

“謙虚な姿勢”

“人を傷つけないユーモア”が
地方での仕事増加につながっている
一因には考えられる。

だが、ここまでレギュラーが
増えたのは、
「他の芸人にはない “強み”が
あるのでは?」と思い本人に
聞いたところ、深く熟考した上で
こう答えた。


「自分で言うのもおこがましい
のですが、僕は割とどんな仕事でも
“平均点”を叩き出せる
タイプなんです。

仕事をしたあと
『うわ~今日はアカンかった~』
という後悔が少ない。

地方ラジオでリポーターを
やっていたら、それを聞いていた
系列のテレビ局の人が
『ムーディはこんなこともできるんだ』
と思ってもらって番組に呼んで
もらいました。

仙台でサンドウィッチマンさんの
番組に出演したときも、
お土産の良さをプレゼンする
大会で優勝して、
裏でサンドウィッチマンさんが
“プレゼン力”を
褒めてくださっていたとか…
“歌ネタ”だけだと思って
いた人にとっては、
新鮮に映るのかも知れないです」


こう自己分析したあとにも
「全国放送だとアガっちゃうので、
リラックスして力が発揮できるのも
地方の番組ならではだと思います」と、
謙虚な姿勢は変わらない。

最後に「一発屋」と
呼ばれていたことを
今ではどう思っているのか
聞いてみた。

「一発屋同士でよく集まって
話をしますが、みんな
“消えた人たち”ではなくて、
“一度大当たりした人たち”と
いうポジティブなとらえ方を
していて、僕も誇らしいことだと
思っています。

一発も当てられない人が
ほとんどの世界で、
しっかり当てているわけですから。

芸人にとって、
『誰やねん』と思われ続けるのが
一番つらいんです。

いま、一発屋と呼ばれる人でも、
HGさんは漫才で頑張っていたり、
山田ルイ53世さんは文筆業で
才能を発揮したり、
ここにきてみんな輝いている。

僕もいまの仕事のスタンスを
忘れなければ、いつか再ブレイクに
つながると信じています」

(文/氏家裕子 写真/山口真由子)



オリコン7/18(水) 8:40配信


最終更新:7/18(水) 12:08


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180709-00000334-oric-ent


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