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R-1優勝「盲目の漫談家」濱田祐太郎がこれから切り開いていくもの [R-1優勝「盲目の漫談家」濱田祐太郎]

R-1優勝「盲目の漫談家」
濱田祐太郎がこれから
切り開いていくもの

R-1優勝「盲目の漫談家」.GIF
写真:現代ビジネス

石橋貴明の重いひとこと

3月2日放送の
『ナインティナイン岡村隆史の
オールナイトニッポン』に
とんねるずの石橋貴明が
出演していた。

番組内で石橋は
「もしお笑いコンテストの
審査員をやるとしたら? 
という話題を投げかけられて、
「絶対やらない」と
きっぱり断言した。

そもそも笑いは点数を
つけるものではないし、
自分には他人の審査をする
技量もない、と説明した。

石橋に限らず、
お笑いコンテストの審査員を
務めることを頑なに拒否する
芸人は多い。

ビートたけしも明石家さんまも
たびたびそう公言している。

プロの芸人で審査員の仕事を
「喜んで引き受ける」と
いうタイプの人はほとんど
いないのではないかと思われる。

にもかかわらず、芸人が芸人を
審査するシステムが今でも
生き残っているのは、
それが見る側(視聴者)に
とっては格別に面白いからだ。

芸人が、自身の芸人生命を
懸けた重い責任を負って
他人のネタを評価して、
点数をつける。

このシステムのもとでは、
ネタを演じる側の芸人だけ
ではなく、それを見て
審査する側の芸人もまた、
見る者によってそのセンスを
問われ、審査される立場にある。

「審査」という営みから
かもし出される緊張感が、
お笑いコンテストに
ドキュメンタリー性を
もたらすことになった。

笑いの権威「松本人志」

「芸人が芸人を審査すること」が
エンターテインメントに
なったのは、2001年に始まった
『M-1グランプリ』が
きっかけだろう。

このコンテストの売りは、
お笑い界の絶対的な権威の
1人であるダウンタウンの
松本人志を審査員として
引っ張り出したことにあった。


『M-1グランプリ』では、
どの芸人が優勝するのかと
同じくらい、松本がどの芸人を
高く評価するのかということが
毎年話題になっている。

松本にさえ認められれば、
たとえ優勝を逃したとしても、
その芸人の業界内での
地位は一気に高まる。

誰もが認める笑いの権威で
ある松本が審査員席に
座るというのは、
それだけ画期的なことだった。

そして、いまや主要な
お笑いコンテストのほとんどに
松本が携わっている。

『M-1グランプリ』
『キングオブコント』では
審査員を務め、
昨年末に開催された
『女芸人No.1決定戦 THE W』
では副音声解説を担当した。

大喜利番組『IPPONグランプリ』
でもチェアマンとして
解説をしている。

いわば、現在の松本は
「審査する笑い」そのものを
司っている存在なのだ。

『R-1ぐらんぷり』の特殊性

そんな中で、「松本帝国」の
影響下から奇妙な形で逃れている
メジャーなお笑いコンテストが
1つある。

ピン芸日本一を決める
『R-1ぐらんぷり』だ。

『R-1ぐらんぷり』は、
『M-1グランプリ』と並ぶほどの
長い歴史を持つ大会でありながら、
その審査員や審査結果が世間で
話題になることはほとんどない。

せいぜい優勝したのは誰で
あるかが報じられるくらいで
、M-1やキングオブコントと
比べれば、どの審査員が
どんな点数をつけたのか
ということにも興味を
持たれることがない。

ここには「ピン芸」という
空白地帯が広がっている。

現代におけるピン芸と
いうのは不思議な存在である。

ひと言で「ピン芸」といっても、
落語、漫談、コント、歌ネタ、
ダンスネタ、フリップネタ、
物真似、もしくはそれらの
組み合わせ。

雑多なものをすべて
含んでいるとらえどころの
ないジャンルだ。

同じ形式を備えていて
横並びで比較がしやす
そうな漫才やコントと違って、
ピン芸は比較が難しい。

それぞれが独立した1つの
ジャンルの芸のようなと
ころがあり、明確な基準で
審査をしづらい。

2016年の優勝者は
ハリウッドザコシショウ。
2017年の優勝者は
アキラ100%。

2年連続で勢い任せの
「裸キャラ」が問答無用で
優勝をさらってしまった
ことからも審査員の苦悩が
うかがえる。

ほかのお笑いコンテスト以上に、
『R-1ぐらんぷり』は
「会場の空気をつかんだのは
誰なのか」というのが
勝敗に大きくかかわってくる。

逆に言うと、それ以外の基準で
審査をすることが困難なのかも
しれない。


障害をネタにして何が悪い

そんななか、3月6日に行われた
『R-1ぐらんぷり2018』で
新たなチャンピオンに
輝いたのは、生まれつき
全盲に近い弱視という
障害を持つ濱田祐太郎だった。

視覚障害を抱える芸人が
『R-1ぐらんぷり』の決勝に
上がるのはもちろん初めてのこと。

濱田の芸をどのように
評価すればいいのかという点で、
『R-1ぐらんぷり』では珍しく
審査する側の感覚が
試されるのではないかと思った。

だが、蓋を開けてみれば
それは杞憂に終わった。

障害があるかどうかに関係なく、
濱田の漫談は純粋にクオリティが
高くて面白かったのだ。

ネタの内容は、自身の抱える
障害を明るく笑い飛ばす
ようなものばかり。

「視覚障害者のあるあるネタ」
という切り口で、視覚障害を
抱える人とそうではない
人の間にある意識のズレを
巧みに笑いに変えていた。

本来、障害のある芸人が
自分の障害をネタにするのは、
薄毛の芸人が頭髪の薄さを
ネタにするようなもの。

芸人が「ハゲ」や「デブ」や
「ブス」を題材にすることが
許されるのなら、
障害をネタにしてはいけない
理由は何もない。

『R-1ぐらんぷり』の決勝で
今までそういう人が
いなかったのは、
たまたまそういう人が
現れていなかっただけなのだ。

濱田は単に漫談家として
優れているだけではなく、
その立ち振舞いも根っからの
「芸人」だと感じさせるものが
あった。

優勝が決まった直後、
生放送終了まであと
数十秒というところで
コメントを求められた
濱田はこう返した。

「ずっとアマチュアのときから
出てた大会で、優勝した
かったんで、ほんまに。

なんか、告知のVTRでは
4回目って言うてましたけど、
ほんまは7回目なんで」

スキあらばボケをねじ込み]、
1つでも多くの笑いを
もぎ取ろうとするその姿が
印象的だった。

そこにタブーなんて存在しな

昨年、ウーマンラッシュアワーが
『THE MANZAI』で原発問題や
沖縄の基地問題などを
取り上げるメッセージ性の強い
社会派の漫才を演じて
話題になったことがあった。

あの一件について、
個人的には
「それほど騒ぐほどのこと
なのかな」と感じていた。

ウーマンラッシュアワーが
あの漫才を演じて注目されたのは
、たまたまそういう人が
今までいなかったからにすぎない。

彼らの漫才は、人々が漠然と
意識している
「触れてはいけないタブー」の
ようなものに踏み込んだから
評価された。

ただ、一度足を踏み入れて
しまえば、そこにはタブーなんて
初めから存在しなかった
ということが分かる。

彼らは
「やってはいけないと
されていること」を
やったのではなく、
「やってはいけないん
じゃないかと思われているけど、
実はやってもいいこと」を
やっただけだ。

そう、それは実は
「もともとやってもいいこと」
だったはずなのだ。

初めて何かをやった芸人だけが
お笑いの可能性を広げていく。

「R-1王者」というタイトルを
引っさげて、濱田がこれから
さまざまなバラエティ番組に
呼ばれて、どんな活躍をする
のかが楽しみだ。

彼ならば、その卓越した
話術を生かして、
障害者=「かわいそうな人」
「がんばっている人」と
いう安直な図式がいまだに
まかり通っているテレビの世界に、
一石を投じることが
できるのではないかと思う。

濱田祐太郎がこれから進むのは、
「活きのいい若手芸人」の
出世街道であると同時に、
人々の意識を変え、
世界を変えていく
道のりでもあるのだ。

ラリー遠田


現代ビジネス3/7(水) 6:00配信

最終更新:3/7(水) 10:05

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