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TRF25周年 SAMが語る「俺のダンス人生」 父「ヤクザになってもいいから真面目にやれ」 [TRF25周年 SAMが語る「俺のダンス人生」]

TRF25周年 SAMが語る「俺のダンス人生」
父「ヤクザになってもいいから真面目にやれ」

SAM.GIF

デビューから25周年を迎えた
5人組音楽&ダンスグループ、
TRF。

メンバーでダンサーの
SAM(55)は、の
ダンス人気を日本に根付かせた
功労者の1人だ。

「かっこよく踊りたい」-。

そんな思いを貫いてダンスを続け、
さらに広く普及させようとしている
SAMが、ダンス人生を語る。

(聞き手 文化部 兼松康)

■ダレデモダンス協会で恩返し

〈3月6日。語呂合わせで「サムの日」
ともとれるこの日が、
日本記念日協会により、
今年から「ダレデモダンスの日」と
認定された。

申請した
「社団法人 ダレデモダンス協会」
(東京都目黒区)の代表理事は、
ほかならぬSAMだ〉

「ダレデモダンス協会は昨年2月に
立ち上げました。
きっかけは、TRF20周年の際に
出したDVD
『EZ DO DANCERSIZE』
でした。

シェイプアップを主眼にダンスと
無縁だった人にも訴求する内容にしたら
想像以上に反響があったんです。

さらに普及させるために協会を作りました。

ダンスで世間に恩返しができれば」

〈協会の目的は、
ストリートダンスの
普及と指導者の育成だが、
高齢者が無理なく踊れて、
健康増進の効果が期待できる
メソッドも開発した。
ダンスによるシニア世代の健康増進にも
取り組むのだ。全国で講習会を開く
地道な活動を行っていく。

まずは4月、関東近郊を中心に20カ所、
35クラスを開講した〉

「打ち上げ花火のように、
一時の話題で終わるようなものではなく、
じわじわと浸透させたいから、
地道にマンパワーで広げています。
シニア向けのプログラムは、
5年後か10年後か分かりませんが、
全国どこでも体験できるよう、
市町村レベルで導入してもらいたいです」

■埼玉から歌舞伎町へ

〈今も変わらず、ダンスに対する
情熱を注ぎ続けるSAM。
ダンスにのめり込んだきっかけは
中学時代にあった〉

「ダンスは、中学校の同級生の影響です。
実家は埼玉県ですが、実家が総合病院
でしたから、東京にある医学部付属の
中学に入れられたわけです。
私立でしたから、さまざまな地域から、
いろんな奴が集まってきます。
中学3年生の同級生の1人に
ディスコに行っている奴がいた。
彼が休み時間に踊っていたダンスが
かっこよくて、教えてもらったり
していました」

「高校2年生ぐらいで初めてディスコに
行きました。
うまい人の周りには自然と輪ができて、
真ん中でスターのように踊っている。
すごく刺激を受けました。
月1回、週1回…次第に
毎日行くようになって」 

「最初は埼玉・大宮のディスコの
常連でしたが、そのうちに埼玉県内の
ディスコは制覇して。
高校3年生のときには、毎日、
東京・歌舞伎町にいました。
風俗店の呼び込みのお兄ちゃんたちとは、
みんな友達になりましたよ」

「歌舞伎町のディスコの常連同士で
チームを作りました。
『ミッキーマウス』という名前で、
レギュラーは7人。
取り巻きも30人ほどいました」

■父の一言、そしてアイドルデビュー

〈ダンスに夢中になるほどに、
医師への道は当然、断たれる〉

「高校1年のときに、1度家出を
してましてね。
結局連れ戻されたんですが、
親に『自由になりたい』と訴えました。
すると親は
『好きにやってもいいから学校には行け。
それと居場所を知らせろ』と
2つの条件を出しました。
父親は
『ヤクザになってもいいから
真面目にやれ』。
ならばダンスを真面目にやろう。
あの一言は大きかったかもしれないです」

「全国ディスコ協会を立ち上げた
ドン勝本さんにスカウトされました。
提携している全国のディスコに
ダンスショーをしに行く仕事を、
高校を卒業した年から始めました。

『これでプロとしてやっていける!』
なんて手応えは全くなかったですよ。
勝本さんも金払いが悪くて、
給料を全くくれないんですよ。
『ねえもんはねえんだよ!』と
一喝されるだけ」

「そのうち『歌をうたえ』と。
『ミッキーマウス』のときの
取り巻きに歌のうまいやつがいて、
そいつをボーカルに『リフラフ』と
いう4人組のアイドルグループで
デビューしました。
大勢の人に見てもらうには、
テレビに出るしかない。
もっとも、結局テレビには
出られずじまいでしたが」

■そしてtrfへ

「リフラフをやめて1年ぐらいは、
クラシックバレエとジャズダンスを
習っていました。
ストレッチなど体のケアについても
学びました。
その後、渡米してニューヨークへ
行きました。

23歳の9月でした。

10カ月ほどで日本へ戻り、
再びダンスチームでダンスの営業や、
ダンス教室での指導などをしていました」

「28歳のとき、フジテレビの
『ダンスダンスダンス』という
番組のレギュラーダンサーになりました。
それを見ていた(ミュージシャンの)
小室(哲哉)さんから声がかかったんです。
それがTRF(結成当時はtrf)の
始まりでした」

〈TRFを始めたことで、以前から
思い描いていた、かっこいいダンスを
世に広めていく作業の端緒についた〉

「自分たちのダンスは、絶対に誰より
かっこいいという自負はありましたが、
売れていることにはピンと
来ていませんでした。
仲間に『テレビ見たよ』『すごいね』と
いわれても、ひとごとのようでした。
それに、TRFが評価されても、
実際のところあんまりうれしくは
なかったんです。
あくまで小室さんが評価されている
だけだと。

また、決して自分らの本意な曲で
ダンスを創っているわけでもなかった」

〈TRF結成当時、ダンサーの
認知度はまだ低かった〉

「ダンサーといえば、バックダンサーの
ことだった時代。
僕らがソロを踊っても照明を当てて
くれなかった。
小室さんにお願いして、
ようやくピンスポットが来るように
なりました。

小室さんは
『ダンサーのソロは、ギターのソロと同じ。
ギター奏者にはピンを当てるでしょ』と
言ってくれました」

「ダンサーの立場を、そういうところから
変えてきました。TRFが出てくる以前は
交通費も出ないし、リハーサル代もない。
TRFでバックにダンサーを使うときは、
リハーサル代も出すし、食事なども用意して、
できるだけ良い待遇を
準備するようにしています」

■ニューヨークで見てもらいたい

〈ダンスを続けてはや40年。
ダンスへの情熱は冷めない〉

「日本のダンスシーンを変えようなんて
思ってやってきたわけではありません。
自分たちのできることをやって、
結果的にそうなっただけです」

「今は海外、特に米国で自分たちの作品を
見てもらえるような環境を作りたいです。
僕らはニューヨークのダンサーが大好きで、
そこに近づくために頑張ってきた
世代でもあります。
米国に自分たちの作品を出せれば、
達成感もあると思います」



SAM 1962年生まれ。埼玉県出身。
19歳で米ニューヨークに渡りダンスを学ぶ。
92年、trfに参加。
97年、歌手の安室奈美恵と結婚したが、
2002年に離婚。
16年、一般社団法人ダレデモダンス協会を設立。

TRF ダンスと音楽の5人組。
歌、DJ、ダンサーからなる。
ミュージシャン、小室哲哉の
プロデュースで1992年9月結成、
翌93年デビュー
(当時はtrf。96年からTRF)。
94年のシングル
「survival dAnce 
~no no cry more~」で
初のチャート1位を獲得するなど90年代に
シングルヒットを連発。

最近はメンバーのDJ KOOが
バラエティー番組などで活躍。

産経新聞 4/30(日) 10:25配信

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170430-00000510-san-musi


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