SSブログ

銀シャリ語る「漫才=会話」やねん!コント仕立て主流も“立ち話”で「M-1グランプリ」王者に [銀シャリ語る「漫才=会話」やねん]

銀シャリ語る「漫才=会話」やねん!
コント仕立て主流も“立ち話”で
「M-1グランプリ」王者に

銀シャリ1.GIF

昨年12月、日本一の漫才師決定戦
「M-1グランプリ」で優勝し、
頂点に立った銀シャリ。

ボケの鰻和弘(33)と
ツッコミの橋本直(36)の
コンビでデビューから11年、
古き良き漫才のスタイルを貫いてきた。

そんな2人が、M-1王者に
たどり着くまでの苦悩、
決勝本番での葛藤、
これから目指していく
ステージについて、しゃべり倒した。

2005年のデビュー以来、
関西を拠点に活動してきた
銀シャリだが、優勝後は
東京での仕事が激増した。

栄冠から1カ月、目まぐるしく
流れる日々にも、鰻は
「楽しいですね」と笑顔。

橋本も
「東京だと芸人さん以外の方、
他ジャンルの方とも仕事するし、
反響が違いますね」と
充実感を漂わせた。

M-1の最終決戦で対決した和牛や
スーパーマラドーナら、
お笑い界のすう勢は漫才とコントの
融合ネタが主流になりつつあるが、
銀シャリは漫才とコントを明確に分ける。

漫才について鰻は
「立ち話ですよね。2人の」、
橋本も
「2人だけで呼吸を合わせる。
会話芸の最小単位」と
した上で
「漫才があるから、他の仕事ができる。
根幹というか、背骨です。
やはり常に新ネタを考えて
漫才の進化をしていきたい。
それが『漫才師』やという
思いはあります」と
力を込めた。

コント仕立ての漫才がブームとなる中、
独自の道を歩んだ2人。

橋本は
「焦ってはいなかったですけど、
ちょっとしんどい時期はありました」と
明かした。

鰻は
「2012、13年ぐらいちゃうかな?」
と振り返る。

橋本は
「M-1がなくなっていた空白の5年。
勝負できる場所が一つ、
なくなっちゃったんで」と話した。

だが、スタイルがぶれることはなかった。

鰻は
「僕、演技できないですからね。
例えば『医者がしたい』となっても、
医者になり切るとかできないんですよね」
と自虐的に笑い、
橋本も
「結局、そっちの方がかっこいいなと
思ったんですよ。
漫才をしっかりやるという方が」と
明確な思いを口にした。

そんな中、5年ぶりに復活した
15年のM-1で2位に入り
「大本命」との下馬評を背に挑んだ
昨年の大会。

橋本は、本命視されることへの
プレッシャーについて
「確かにちょっと…ちょっとだけ
ありましたけどね」と吐露した。

「2位になって、ちょっと頑張れば
手が届くという実感が出て…。
まずは決勝に行かなきゃ
いけなかったんですけど、
決勝に出たらちょっとね…」と
振り返りつつ
「あまり考えないようにはしてました。
そんな簡単なもんじゃないと
思ってたんで」と、
努めて冷静さを保とうとしていた。

どれだけの実績があろうとも、
ステージでは一発勝負なのがM-1。

橋本も
「傾向と対策は、関係なかったですね。
その場で何ができるか、空気や状況に
よって変わりますし」という。

だが、10年間の「漫才師」としての
日々が、2人に自信を与えていた。

橋本は
「そこ(現場)に一番強くないと
いけないんです。
Mー1なんて、普通、アドリブを
入れる余地はないんですけど、
今回はアドリブも入れられたんで、
楽しみながらできました」と
胸を張った。

そんな思いで臨んだ決勝、
そして3組での最終決戦。

ここで2人は、一つの“賭け”に出た。

ボケの数を抑え、会話の中で徐々に
笑いを構築していくネタで勝負。

橋本には大きな葛藤があったという。

「ボケ数が多い方がいいんですが、
あのネタは、ハマればとんでもない
ところまで飛んでいくんです」と
しつつ
「ボケ数が少ないので、
危ないなとは思ったんですけど、
ボケてるというより、
その間の会話ですら
面白くなっていくネタ。
難しいのもわかってたんですけど、
絶対にあれで勝負しようと
思っていました。
あれは、僕らが今後やっていきたい
漫才の形なんで」。

漫才師人生を、1本のネタに託した。

ネタを終えた橋本は、
それまでに見せたことがないほど
不安な表情で発表を待っていた。

「僕は『やばいな』と思いました。

後悔はなかったですけど、
(客の反応が)想定してた
通りだったんです。難しいな…と」と、
敗戦も覚悟していたという。

「でも、変えようという意識は
ゼロでした。
お客さんの笑いと自分たちの
ポリシーを一致させながら
勝っていくのは、非常に難しいなと
思うんですけどね」と、
あえて高みを求める中での選択だった。

完全に「正統派漫才師」との
評価が固まった感のある2人だが、
本人たちにその意識はないという。

「漫才師は10組いたら、
10組全部違うじゃないですか。
こういうパターンないかな…とか考えて、
奇をてらいすぎていた時期も
あったんで。
ボケる、突っ込むというシンプルな
ことをしっかりやっていこうと
考えただけで」と橋本。

「伝統的とか正統派と
言われることに、
逆にビックリします。
誰もいなくなったから、
言われるというだけだと
思うんですけどね」と笑った。

「正統派」との評価を得る一つの
要因が、昭和の漫才師を思わせる
ブルーのジャケット。

現在は4着所有し、
用途によって使い分けているという。

「賞レースだったり、ロケ用だったり、
テレビの番組用とかで分けてます」と
橋本。

鰻は
「よく見たら、それぞれ微妙に
色が違うんですよ。
ちょっと濃いとか薄いとか。
同じものが作れなかったんで…」と
笑いながら明かした。

「会話」を芸として昇華する
スタイルだけに、2人の信頼関係は強い。

橋本は
「この1年で、諸先輩方が
『鰻がだいぶ成長した』と
言ってくださってるんです」と
うれしそうに話した。

その要因を、鰻は
「緊張しないようにしたんです。
自分で自分の漫才を見て、
硬いな~って思ったんで」と
明かした。

緊張から脱却する秘けつとしては
「自分が『できる』と思わんかったら
いいんです。
ハードルを下げるというか」と
冗談めかして話した。

一方、鰻は橋本について
「ようしゃべります。
アドリブもすごいですし…。
漫才をするために生まれてきた男、
漫才の申し子ですね」と
絶賛した。

ボケではなく、ツッコミが
アドリブを利かせるというのは
異色のスタイルだが、
橋本は
「鰻の方がしっかりしている。
僕は楽しくなると
ノッていっちゃうんで…」と苦笑い。

鰻も
「ツッコミがいきすぎて、
“はみ出る”こともあるんですよ」と
しつつ
「かといって、僕が押さえつけるのも
違うじゃないですか。
やっぱり『会話』なんですから」と、
改めて自らのスタイルを強調した。

M-1王者として、
誰もが知る存在となったが、
2人には頂点に立ったという
認識はない。

橋本は
「ギリギリで何とか優勝できたと
いうのも逆にありがたいというか、
まだまだもっと漫才考えたいなと
いういいきっかけになりましたね」
とキッパリ。

「ゴールした感がないというのは
まだまだ成長できるなと思います」と
どん欲だった。

◆銀シャリ 
ツッコミの橋本直
(はしもと・なお=
1980年9月27日生まれ、
兵庫県伊丹市出身)、
ボケの鰻和弘
(うなぎ・かずひろ=
1983年8月31日生まれ、
大阪府八尾市出身)のコンビ。

吉本総合芸能学院(NSC)
大阪校25期生で、
2005年にコンビ結成。

本格的なしゃべくり漫才を得意とし、
昭和の漫才コンビの雰囲気を
醸し出す青ジャケットが
トレードマーク。

M-1では10年に決勝初進出。
15年は2位。
16年に優勝。

デイリースポーツ 1/24(火) 14:48配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170124-00000050-dal-ent
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。