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小泉孝太郎 "総理の息子"が俳優になれたのは「KYでよかった」 [小泉孝太郎、"総理の息子"が俳優に]

小泉孝太郎、"総理の息子"が
俳優になれたのは
「KYでよかった」


小泉孝太郎-3.GIF


現在放送中の、テレビ東京系ドラマ
『警視庁ゼロ係~生活安全課なんでも
相談室~SEASON4』
(毎週金曜20:00~20:54)の主演を
務める俳優・小泉孝太郎。

同作は2016年1月クールに
第1弾が放送され、
"空気は読めないが事件は読める
"エリートキャリアのKY刑事
・小早川冬彦(小泉)と、
"男まさりで口の悪い"
ベテラン刑事・寺田寅三(松下由樹)の
コンビが人気に。

異例の4シーズン目に突入した。


2001年に当時の総理大臣・小泉純一郎の
息子としてデビューした孝太郎だが、
俳優として実直に挑み、作品に
欠かせない存在となった。


さらには情報番組や
オリンピックキャスターなど
活躍の場を広げ、ますます自由に
羽ばたいている。

そんな小泉孝太郎に、
『ゼロ係』で演じる冬彦の魅力、
そして自身のこれまでについて
話を聞いた。


■『ゼロ係』SEASON4で衣装が
トマト柄に


――『警視庁ゼロ係』のシリーズが
2016年にスタートするというとき、
「エリートでKYの刑事」という
役をふられた心境はいかがでしたか?

僕自身は、撮影に入る前の段階では、
今演じているような冬彦の
キャラクターというものは
全く想像していませんでした。

もっと嫌味で、頭は切れるけど
プライドが高くて人を見下したり
していたりして嫌われる
タイプの路線を考えていたんです。

でも、監督と話したところ、

「原作にはそういう部分があるけれど、
ドラマの冬彦は、どちらかというと
みんなに愛されるキャラが
いいと思ってる」
とおっしゃっていて、

「それなら僕も、大人だけど
子供っぽいところがあって、
無邪気でKYなキャラクターに
シフトチェンジしますね」
と言ったのを覚えています。

もしも今のような冬彦
じゃなかったら、
シーズン4まで続いて
いなかったかもしれないですね。


――今日はトマトのシャツで
いらっしゃいましたが、
衣装についても予想外でしたか?

最初はびっくりしました。
僕が赤で松下由樹さん演じる
寅三先輩が青、ほかの皆さんにも
それぞれ色があって、ヒーローもの
みたいだなと。

でも、監督の狙いが
じわじわと浸透してきて。

刑事ものってスーツで
暗い色の衣装になりがちだけど、
僕らの場合はカラフルで
ガチャガチャしてるのが
いいですよね。


――トマトになるまでの衣装の経緯は?

夏に放送することが多いので、
季節にあった野菜や果物を
テーマにしています。

シーズン1
がいちご、

2がスイカ、

3がとうがらし、

そして
4がトマトです。

僕が冷やしトマトが苦手なんで、
これまで避けてきたんですけど、

赤いものがだんだん少なく
なったので「もういいですよ」
っていうのと、寅三先輩が
「トマト野郎!」って
言うのもいいかなって(笑)。


――主演ということで、シリーズを
通して心がけていることはありますか?

引っ張っていくとか、
そういう気持ちは
まったくないんですよ。

それよりは、「和」という
言葉のほうがしっくりきます。

「みんなが和めばいいな」
ということしか意識してないです。

その日によって違う空気を
壊さないようにして、いい環境、
いい精神状態で撮影が
できたらいいなと。

そのためにも、僕自身の心身の
バランスも整ってないと。

それくらいです。


――よくこの番組関連で、
「小泉さんにもKYな
ところがありますか?」
と聞かれていると思いますが、
ご自身はどう思われますか?

毎回阿佐ヶ谷の駅前で記者会見を
していて、駅のプラットフォームに
いるみなさんに
「聞こえますかー?」と
大声で叫んだりしたんですが、
そういうところは
「KYなのかな」って(笑)。

松下さんからは、
「孝太郎くんは冬彦みたい」
って言われるので、
本当にそういうところが
あるんだなと、最近は思います。


――具体的にはどんなところが
似てると言われたんでしょうか?

“こう”と思い込んだら、
そっちに突っ走るエネルギーが、
冬彦っぽいと言われました。

特に、『ゼロ係』のときは、
「このセリフはこういう風に
言いますね」
と提案することが多いので。


――そういうKYな感じは、
作品の現場によっても
違ったりしますか?

冬彦は協調性や社会性のない
タイプですから、そのときの
自分の在り方も、もしかしたら
ほかの現場とは違うのかも
しれないですね。

冬彦の衣装をつけると、
そういう気持ちになりますが、
右に倣えということを
しないでいいので
痛快でもありますよ。


――近年だと『グッドワイフ』の
多田先生とかは、衣装も違うし、
現場での居方も違いそうですね。

全然違いました。

『グッドワイフ』の多田先生を
ひきずっていたら、冬彦さんは
演じられないし(笑)。

『グッドワイフ』のときのほうが
空気を読んでいる気がします。

常盤さんが居心地よく
いられるようにしたいなとか、

お芝居についても繊細な
ところでやっていましたね。

冬彦は大胆で思い切りよく
やっていたので、作品によって、
演技の匙加減が違います。


――キャラクターもかなり違いますしね。

『グッドワイフ』で演じた
多田征大は弁護士で仕事もバリバリ。

『ゼロ係』の冬彦は、警視という
肩書はあるんだけど、冬彦個人の
キャラクターそのものが求められていて、
そこが違ったなと思います。

若いときは肩書をあまり
背負っていなくて、
年齢を重ねると
「父親」や「部長」という
肩書が増えていって深みにもなる。

若いときは肩書がなくても
元気や無知であるという
パワーで押し切ったりするけれど、
歳をとると違ってきます。

でも、冬彦の場合は、
肩書もあるのに、
違うものを求められる
というのは面白いし、
そこがほかの刑事ドラマとは
違うところでしょうね。


――若いころは元気やパワーで
押し切ったと言われてましたが、
小泉さんの若いころはいかが
でしたか?

経験も技術も自信もなくて、
20代の10年間はとてつもなく
長かったですし、苦しかったです。

29歳のとき、
「ここで自分の人生が終わっても、
短くはないな」と思ってましたもん。


――そのころ、どんなお仕事を
されていたんですか?

ちょうど29歳で初めて連ドラの
主演をさせてもらったときで。
中園ミホさん脚本でテレビ朝日の
『コールセンターの恋人』と
いう作品でした。

そのくらいから、大きく
変わっていった気がします。


――自信もついていったり。

徐々にですけどね。


小泉孝太郎-4.GIF
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■『ゼロ係』『下町ロケット』に出会えた


――20代でデビューされたときの
ことは覚えていらっしゃいますか?
確かCMで注目されて、
そのあとドラマに出られていて。

見るのとやるのとは違うな、
と思いました。

やってみたらなんて
難しいんだと思ったし。
今考えるとすべてにおいて
甘かったところがあると思います。

でも、憧れて入った世界だし、
この世界にずっといたいと
思ったから頑張れた。

そのころは自分が連ドラの
主演をできるなんて
考えてもなかったですね。


――それが29歳で主演する
ようになったわけですが、
どんな風に変化して
いったんでしょうか。

やっぱり夢中になれたことが
大きいと思います。

いろんなところにいた人が
作品を通してひとつになる、
そういうところを見て
なんてすばらしい仕事だろう
と思ったし、人が集まったときの
エネルギーが大好きなので、

現場にいると生きてるなと
いう感覚があります。

「現場にいたい」と
いう気持ちがあるから、
続けてこれたんだと思います。

幸運にも仕事がずっとあって、
そこで本物の人たちを見て、

すごさを肌で感じる機会が
あったことで、できなかった
こともできるようになって
いきました。


――デビューされるときには、
誰もが小泉さんのお父さんの
ことを知っている状態で、
でもそのことで色眼鏡で
見られるということも
あったのではないでしょうか?

そこは、覚悟していました。

でも、当時の自分もかなり
KYだったんでしょうね。

そういうKYなところがなかったら、
総理大臣の息子が芸能界には
入らない(笑)。

そこをぱーんと突き抜けて、
「自分はこれをやりたい、
俳優・小泉孝太郎になりたい」
と思って入ったので、
想像通りでした。

自分自身に
「こんちくしょう」と
思うような悔しさも必要でした。

いまになって考えると、
自分にKYなところがあって
よかったなと思います。


――そういう声が気にならなく
なったのは?

最初から、
「一瞬だろうな」とは
思っていました。

自分が力をつければ、
おそらく言われなくなる
だろうなと。

そのときは、そうやって
都合よく解釈したのかな、
とも思います。


――現在41歳になられて、
これから50代、
60代になったときの
ことを考えますか?

そこまでは考えていないです。

どんな仕事が待ち受けてるん
だろうと考えるくらいで。

僕らの仕事は受け身なので、
オファーがないと仕事が
できないんです。

自分をどんな風に見て
もらえるんだろう、

ということが面白いと思います。

ただ、芸能界が好きなので、
50代、60代になっても
芸能関係の仕事はしていたいです。


――自分がどう見てもらえるか
ということでオファーが来た仕事の
中で面白いなと思ったものは
ありますか?

20代はただ役者をやりたいと
思っていたけど、いつの間にか
テレ東テレビ東京で柔道の
番組のMCをやってオリンピック
にも行ったり、バラエティの
レギュラーがあったり、

情報番組でMCをしたり、
予期せぬことがいっぱい
あって楽しいです。

自分の考えなんてちっぽけな
もので、求められることに
応えることが挑戦だなと。

もし来年、役者の仕事がなくても、
それはそれで面白い1年になるなと
思えるだろうし、いい意味で
こだわりがなくなってきた
のかもしれません。

昔は役者の仕事に集中したいと
思ってたけど、バラエティの
仕事がいい切り替えになったり、

ストレス発散になったりね。

とにかく、この仕事自体が好きだし
向いてるんだなと思います。

光と影はあるけれど、
ここにしかない刺激や快感が
確実にあります。


――今まで求められた役で、
印象深いものは何でしょうか?

大きかったのは、やっぱり
『ゼロ係』の小早川冬彦と、
『下町ロケット』の椎名直之と
いう悪役でしょうね。

その2つの役と出会えたことで、
今の自分があるんだと思います。

今までやったことのなかった
悪役と、冬彦のように
子供みたいな役、
両極端を求められるんだ、
ということがわかったのは
大きかったし、
何かを変えてくれたと思います。


――その2つの役、時期的には
どんな感じだったんですか?

『下町ロケット』の撮影が
終わった日に、

『ゼロ係』のシーズン1の
初日の撮影があって、
僕は寝ずに現場に行ったことを
はっきり覚えてます。

2つの役を演じた2016年に、
僕が今まで歩いたことの
ない道を歩かせてもらった
ような気がします。

もし、その2つの役をやって
なかったら、どうなって
いたんだろう……。

確実に今のような質と量で
仕事ができているとは思えないです。

よく、先輩の役者さんが
「役とは出会いだよ」って
言われることがありますけど、
本当にそうだなと実感します。

今もそう思いますけど、
10年20年経ったら、
もっと強く実感するん
じゃないかと思います。


■小泉孝太郎

1978年7月10日生まれ、
神奈川県出身。

2001年にCMで芸能界デビューし、
02年、テレビドラマ『初体験』で
俳優デビュー。

その後様々なドラマ・映画に出演し、
NHK大河ドラマには『義経』(05)、
『天地人』(09)、『八重の桜』(13)と
3度出演。

09年にドラマ『コールセンターの恋人』
で初主演を果たし、近年は
『ブラックペアン』
『連続ドラマW 真犯人』
『グッドワイフ』(18)と
話題作に続々出演する。

また、テレビ東京では
「リオデジャネイロオリンピック」
メインキャスターを務めるほか、
『よじごじDays』金曜MCなど
幅広く活躍中。


小泉孝太郎-5.GIF
小泉孝太郎が野党から立候補!?
進次郎氏&滝クリへのモニタリング妄想

西森路代


マイナビニュース 8/23(金) 20:01配信


最終更新:8/23(金) 20:01


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190823-00000007-mynavin-ent











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