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内村光良は語る、「老い」と「家族」と向き合う日常を。 [内村光良「老い」と「家族」と向き合う日常]

内村光良は語る、
「老い」と「家族」
と向き合う日常を。

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Photo by ERIKO KAJI

「最近、老いを感じる
瞬間が増えた(笑)」。

内村光良、54歳。

紅白の司会や“コント職人”
として活躍を続ける一方、
年齢の重なりとともに人生

観に変化が生まれたという。

親族の死をきっかけに
「自分も死を意識するようになった」
と明かす。

この春、新作小説
『ふたたび蝉の声』を発表する。

物語には、内村が歩んできた
人生のエッセンスが
散りばめられている。

「内村光良」
はなぜ生まれたのか、
そしてどこへ行くのか。

作品に込めた気持ち、
いまの年齢だから
こそ思うことを聞いた。

(取材:BuzzFeed Japan 吉川慧)


「家族」のテーマを描きたかった

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Photo by ERIKO KAJI



――今回の小説は、主人公の進を
中心に、姉のゆり、妻の百合子など、
家族や友人たちが織りなす
群像劇でした。
どんな思いを込めましたか。


「家族を思う」というのを
今回のテーマにしました。

主人公の進は中年俳優。

妻は元女優で、大学生の娘がいる。

姉のゆりは元JALのCAで、
宏という年下の夫と息子がいます。

軸になるのは、この2つの家族です。

進は自分と比較的近い年齢なので、
青年時代の描写では自分が
よく聞いていた音楽や映画、
テレビ番組も入れ込みました。

同世代の方には懐かしい
気持ちになってもらえるかなと。



自分を投影した部分も…

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Photo by ERIKO KAJI


――主人公の学生時代には
山口百恵や松田聖子、松山千春、
矢沢永吉など往年のスターの
名前が出てきましたね。

1970年代~80年代、
あの頃は「ザ・ベストテン」の
全盛期。

みんなが同じ曲を知っていました。

当時の曲を聞くと思い出が
蘇ってきますよね。

通っていた学校の校舎や教室が
浮かんできて、世良公則や
ジュリー(沢田研二)の
ものまねをする
やつがいたなぁとか。

そんなことを考えながら
筆を進めました。

要所要所では自分を投影している
ところもあります。

僕も仮面ライダーやウルトラマン、
ブルース・リーの真似事ばっかり
やっていました(笑)。

高校時代には友達と
8ミリフィルムで映画を作って、
視聴覚室で放映したり。

自分の経験を元にしながらも、
フィクションを描く醍醐味を
楽しみました。



昔と今、テレビと時代の変化を感じる

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Photo by ERIKO KAJI


――「当時はテレビが一番の娯楽だった」
という一文。
「だった」と過去形になっているのが
印象に残りました。

それこそ、当時は
「ザ・ベストテン」や
「ドリフ」を茶の間で
家族みんなで見たり、
そういう時代でした。

ドラマもバラエティも
視聴率が30%~40%が
当たり前の時代が
あったんですよね。

みんなが学校で、
前の晩のテレビの感想を
言い合っていました。

一方で、いまは10%とったら御の字。

もちろん、スポーツ中継は人気だし、
紅白歌合戦だって大晦日の
風物詩になっている。

変わらないテレビの底力
というのは今もあると思います。

でもね、広い視野で見てみると、
趣味趣向が多様化し、
細分化している。

ネットの普及もあるし、
確かに時代はかわりつつあるなと
感じています。

僕もテレビの世界で長くやって
きましたが、器用じゃないし、
時代を先読みするのも
得意ではありません。

その時、その時で、手を抜かず、
目の前のことを一生懸命に
こなすことしかできません。

僕の場合は、これまで色々な
ディレクターさんや
プロデューサーさんが
「一緒に面白い企画をやりましょう」
と言ってくださった。

周りの人に恵まれたおかげで、
今までなんとか生き長らえてきました。

本当に、本当にラッキーだったと
思っています。


一番才能があったのは20代だった

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Photo by ERIKO KAJI



――進の人生は、高校卒業と
ともに舞台が東京に移ります。
俳優をめざして東京の大学へ
進学する。
内村さん自身も、夢を追って
故郷の熊本から上京した。


高校時代の経験もあって、
僕は映画の世界に憧れていたんですね。

とにかく映画をつくりたかった。

監督や脚本で映画に携わりたい。

その一心で上京しました。

だから、お笑いなんて
全く考えていなかったんです(笑)。

それこそ上京してから間もない頃は、
映画ばっかり見ていました。

あの頃は駆け出しで売れなかったし、
働きもしなかったし、金銭的な余裕は
ありませんでしたね。

「コインランドリーにこれだけ使って、
食パンを買ったら、あとこのぐらい
しかないな…」
と小銭を数えたこともあったなぁ(笑)。

どうしてもお金がなくなったら、
日払いのバイトしていました。

運送屋さんで引越しの
お手伝いとかね。

それでなんとか食いつないだ。

でも、お金がないからといって
腐らなかったんですよね。

仕送りに頼ってばかりだったけど、
それでもネタはちゃんと書いていた。

ショートコントを書き出したのも
この頃ですね。

それこそ泉のようにネタが
湧き出てきた。

あの頃が一番才能があったと
思うんですよね(笑)。




――後の「笑う犬」シリーズなどに
繋がる“コント職人”としての
原点はここにあった。

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Photo by ERIKO KAJI

ファミリーレストランとか
レンタルビデオ店を舞台にした
一連のコントは、
あの時代に書き溜めていたものが
ヒントになっているんです。

そうしているうちに
「いつかなんとかなるんじゃないかな」
と、根拠はないけど楽観的に
考えていました。

とにかく目の前の仕事を
一生懸命、ただ一生懸命に
やっているだけです(笑)。

それこそ芸能界は不安定な
世界です。

全く仕事がない時期もありました。

「あれ?だいぶ給料減ったなあ…」
と感じたんですけど、
なぜでしょうね。

どこかで楽観的な自分がいたんですよね。

いやぁ、あんとき俺ほんとに
暇だったなぁ…(笑)。

あまりに暇だったので何を
していたのかというと、
朝から酒を飲みながら
「007」シリーズを1作目から
全部見始めたんですよ。

で、それが終わると今度は
「男はつらいよ」シリーズを
1作目から見直していました。

そうやって暇を暇として
楽しみながら、またネタを
一生懸命に書き溜めた。

やっぱり根底には
「なんとかなるんじゃないかな」
という楽観主義があったんですね。

売れなかった時代や仕事がない
時期もあったけど、どこかで楽観的で、
のほほんって暮らしてきた。

「生きていればなんとかなる」
ということでしょうか。



「老い」を意識するようになった

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Photo by ERIKO KAJI

――小説の中では、進が
「四十五を過ぎてから特に老いを
感じるようになってきた」と。
内村さんはいま54歳。
老いを感じる瞬間はありますか。


テレビを通してみると年齢を
感じないというお声をいただくことも
ありますが、やっぱり年々、
自分の老いを感じるように
なってきました。

30代後半から白髪が出始めて、
40代前半から老眼になり、
最近では加齢臭が出てくるように
なりました(笑)。

朝起きるとわかるんですよね。

「俺、臭いな(笑)」って…。

日常のワンシーンから
毎日のように年齢を
感じることが増えてきました。

身近な人の死を経験したことも、
自分の人生にも終わりがあるのだと
意識するきっかけになりました。




――物語の中で、登場人物が
ガンに侵される描写がありました。

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実は、一つ年上だった
僕の従姉妹の姉ちゃんが
ガンだったことがあり、
目の当たりにしたことが
大きかったです。

大好きだった姉ちゃんのことを、
どこかで書き残しておきたい。

今思うと、そんな気持ちも
あったのだと思います。

本当に好きな姉ちゃんだったので。

10代や20代のころは、
そんなこと全く考えなかった。

明るい未来が開けていると
信じ続けていましたから。


――そういった、
歳を重ねた今だからこその、
内村さんの人生観がこの小説にも
色濃く反映させられていますね。

季節は変わらずに何度もめぐって
きますけど、人生にはいつか
終わりがくる。

自分も家族も、いつかは死ぬ。

でも、毎日進んでいく
しかないんですよね。

そう思うと、これからの人生を
どう生きようかを考えるように
なりました。



子供の存在が人生観を変えた

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――人生の終わりを意識する一方で、
内村さんにもご家族がいらっしゃいます。
2人のお子さんもいらっしゃる。
日々、「生」への喜びを感じる
場面もあるのでは。


結婚当初は、子供はいなくても
いいやって思っていたんですよ。

夫婦だけの人生でもいいかなって。
でも、10年前に長女が生まれると、
そんな考えは消えてしまいました。

子供が生まれると世界の見え方が
変わるんですよね。

それまで街の景色の中で
見えなかったものが、
見えるようになってきたんです。

子供の目線で見える世界や、
世の中にはこんなにたくさん、
ベビーカーを押している人が
街にいるんだなあとか。

今回の小説でも、
進には高校生の娘がいて、
父と娘の間にある思春期特有の
距離感を描きました。

将来きっと、僕の娘もこうなって
疎遠になるのかなあとか。

そんなことも考えてしまったり。

だからこそ、
今はなるべくコミュニケーションを
とるようにしています。

特に長女には甘くなってしまって、
親バカというか溺愛ですね…。

でも長男は、僕とそっくりなんですよ。

特に溜息ついた後ろ姿がほんとに
そっくりで…。

色の白さも似ている。

だから自分の姿を見ているようで、
ついついつい厳しくなっちゃうことも…。

でも、二人とも大好きですし、
いまはできるかぎり家族の
思い出をつくろうとしています。


――内村さんが子育てで
大切にしていることは。

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挨拶ができることですね。

ちゃんと挨拶ができる子、
あとは嘘をつかない子ですね。

あとはもう元気で、
健康であってくれたらと。



家族のふれあい、
思い出の積み重ねが人をつくる

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――小説の中では、散歩中の進が、
子供に暴力を振るう親と揉める
シーンがありました。

最近、児童虐待のニュースを
見かけることがまた増えましたよね。

なんで我が子をこんなこと
するんだろうって…。

実は東京駅の新幹線の改札で、
子供を蹴ったりとか殴ったりする
保護者の姿を見かけたことが
あったんです。

親子の間のことですから、
他人が口を出すべきではないと
いう意見もあるかもしれません。

でも、さすがに
「そこまでするか」
という時もありますよね。

親が子供に本気の蹴りを
入れているところを見かけてしまって、
ずっと心にモヤモヤとして
引っかかっていた。

もしこういう場面をまたみかけたら、
自分だったら人としてどうするべきか…。

そんなことも考えました。

自分にも子供ができて、
いまはたくさん思い出を
つくろうと頑張っています。

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家のテーブルを
卓球台代わりにして
毎日ピンポンをしたり、
旅行にも行ったり…。

小説に出てくるサンフランシスコの
街並みも、家族みんなで遊びに
行った思い出があったので描きました。

家族の思い出って、親にも子供にも、
それぞれの心に残ると思うんです。

だからこそ、子供との思い出は
できる限りつくってあげたい。

僕がそうであったように、
家族とのふれあいや、
思い出の積み重ね、
それがきっとその人を
形づくっていくのだろうと。

家族こそが「内村光良」と
いう人間を形づくった。

この歳になって、
家族をテーマにした
小説を書き終えた今、
そう思っています。



「あしたの」

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BuzzFeed Japan

「あしたの」あの人がめざす場所は?

各界の一線で活躍する著名人に
BuzzFeed Japanがロングインタビュー。

「あしたの」あなたを豊かにする、
素敵な言葉をお届けします。


BuzzFeed Japan3/2(土) 10:03配信

最終更新:3/2(土) 10:11



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