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のりピー、何でもない日常がありがたい…あれから9年“怪物級美魔女”の現在 [のりピー、あれから9年“怪物級美魔女”の現在]

のりピー、何でもない日常がありがたい
あれから9年“怪物級美魔女”の現在

酒井法子3.GIF
本紙のインタビューに答える酒井法子。
現在の心境を穏やかに語った
(東京・港区で=カメラ・矢口 亨)

“のりピー”が
贖罪(しょくざい)の道を
誠実に歩んでいる。

女優の酒井法子(47)が
有罪判決を受けたのは
2009年。

12年11月に芸能界に復帰し、
地に足をつけた活動で徐々に
仕事の幅を広げてきた。

現在の様子や心境、
ファンへの感謝の思い、
意外なマイブームなど
赤裸々に語った。
(取材・田中 俊光)

デビュー30周年を迎えた
一昨年、16年ぶりの
コンサートに臨んだ。

ディナーショーや地域の
お祭りゲストなど、
ファンとの距離が近い
イベント出演にも精力的。

初心を思い返しながら
奮闘する日々だ。

「デビュー当時は、
そういうお仕事が
たくさんあって。

今また、お客さま一人ひとりの
表情が見える所でやれているのは
楽しいですね。

この前のお祭りは
子供さんが多かったので
『のりピー音頭』とか、
楽しんでもらえるような曲を
並べたら、すっごく楽しそうに
聴いてくれて。

『のりピー!』なんて言って
くれて、とって
もうれしかったですね」

台湾、中国、香港など
アジア圏の人気は健在。

1月に香港で開いた
単独コンサートのチケットは
3日で完売し
、現地メディアは
「怪物級美魔女」と取り上げた。

「温かいコンサートでした。
ファンの方が曲ごとに
やることを決めてくれていた
みたいで、ライトを照らしたり、
ボードを持ってくれたり。

張り切りすぎたのか、
3、4曲歌った頃に
聞いたこともないかすれ声に
なってしまって申し訳ない
気持ちでしたが、
逆に私が力をもらった
ようなコンサートを
させていただきました」

アジア友好の懸け橋として
依然として大きな存在。

「そんな大それたものは
ないですが、文化も言葉も
違う人が音楽なりを
通じて交わって、
楽しい時間を過ごすって
いうのはいいですよね。

私が何かのためになるなら、
うれしく思います」

47歳になった今も美貌は健在。

秘訣(ひけつ)は。

「おこがましくて何も
言えないですよ(笑い)。

毎日、鏡の前に立つと
『あちゃー』と嫌になりますが、
自分を奮い立たせて
頑張っています。

太りそうな物は我慢しようとか、
運動も自分に厳しく。

週5日ぐらい、
ホットヨガ、筋トレ、
ダンスレッスンをやっています」

事件から9年。今、思うこと。

「こうして仕事をさせて
いただけて、本当にありがたいと
思います。

自分が犯したことは
もちろん忘れずに、
でも、ずっと立ち止まって
いても何も変わらないので、
前を向いてやっている
つもりです」

いまだに風当たりは強い。


「もともと、私のやったことが
原因ですから。

私にはどうすることもできないし、
する権利もない。

私が活動していることに
不愉快な思いをされる方が
いても不思議ではないし、
一方で応援してくださる
方もいます。

これは一生続くことだろうと
思うので、させていただけることを
一生懸命やって、
応援してくださる方に
少しでも喜んでいただくのが、
私の生きる道なのかなと思います」

最近は、何げない日々に幸せを
感じるという。

「何でもない日常が毎日続くって
ことが、ありがたいなあと
思いますね。

そんなふうに思うから毎朝、
神棚に手を合わせたりしちゃって。

『また一日を迎えさせて
もらってありがとうございます』って」

マイブームは「法話」と「寺巡り」。

「寝る前に法話を聞くと、
いい気持ちで眠れるんです。

“いい人”になれた
気がするっていうんですかね。

時間がある時には『百寺巡礼』
(五木寛之著)を読んでいます。

先日は、目が覚めた時に
思い立って(鎌倉の)
円覚寺に行ってきました。
お寺の凜(りん)とした
空気感っていいですよね。

昔はさっぱり分からなかった
ですが、厳しい規律の中での
生活に、とても豊かなものが
流れている感じがして、
すごくすてきだなと。

これから他のお寺も
巡りたいなと思いますね。

心を洗いに、
じゃないですけど(笑い)」

“普通”の生活が楽しい。

「最近、28歳の女性と話す
機会があったんですが、
私のことをご存じない。

『名前なんていうの?』

『のりこって言います』

『お仕事は?』

『少し芸能関係を』
ってやりとりが新鮮で。

電車にも乗るし、
自転車をこいで
スーパーにも行きます。

そんな中で、いきなり
ステージに立ったりするから、
ちょっと違和感を覚えたり(笑い)」

99年に生まれた
長男も頼もしくなった。

「この頃、なりたいと思うものを
見つけたらしくて。学生の頃は、
私の息子だなって感じで
勉強はあまりでしたけど、
やりたいことを見つけると、
しっかりしてくるというか。

この間、すごくうれしいことを
言ってくれて。

『俺が好きなことをできるのも、
お母さんが頑張ってくれてる
からだよね。ありがとね』って。

いきなりだったから素直に
喜べなくて
『あんた、悪い物でも
食べたんじゃない』と
言っちゃったんですけど、
うれしかったですね」

新たな恋については。

「男女が手をつないで
歩いてる姿なんかを見ると
『いいなぁ』とは少し思いますが、

『恋愛したいな』

『頑張ろう』とは
思ってないですね。

出会いがあれば、
それはそれでいいんじゃないかな
とも思いますけど。

幸い、今は寂しいと思う
時間が少ないのかもしれません。

そのうち猫とか飼い出した頃に、
また恋をしたくなるのかも
しれませんね。

息子が巣立ってね。
なんかさみしいわ、みたいな」

やはりステージが天職だ。

「歌ったり演じたりって
いうのはプレッシャーとの
闘いだったりして
『もしかして、私は歌や
お芝居が好きじゃないのかな』
と思う時もありました。

でも、人前に立つと、
やっぱり好きなのが分かる。

いただいたお仕事や出会いを
大事にしながら、一生懸命
やっていきたいですね」


今後への思い。

「私が歌ったり、
お芝居できたりするのは、
ファンの皆さんがいてくれるから。

ファンの方に『懐かしい』と
思われる歌も歌いたいし
『こんなこともやるの』って
楽しんでもらえることもやりたい。

いろんな世界に、
輝いているすてきな女性って
いっぱいいるじゃないですか。

そういう方たちからも、
いろんなものを吸収させて
もらいながら、チャレンジ
していこうと。

やっぱり人生って“人”ですよね。
出会った人を大事に
できるような人でありたいなと
思います」

生まれ変わっても
“酒井法子”で人生の
ストーリーを作って
いくのだろうか。

「同じことをやるんでなく、
作りたいですね。

やり直したいです。

まっさらな気持ちで。

一本筋の通った人生を生きたい。

これまでいろんなことが
ありましたが、
私自身としては
すごく幸せでした。

でも、たくさんの方に
迷惑をかけた。

その方々に何ができるか、
というのがこれからの
大きな課題です」

◆酒井 法子(さかい・のりこ)
1971年2月14日、
福岡市生まれ。47歳。

化粧品メーカーのコンテストに
入選したのをきっかけに
86年のドラマ「春風一番!」で
デビュー。

87年に「男のコになりたい」で
歌手デビューすると
主な新人賞を軒並み獲得。

独特の「のりピー語」で
人気アイドルとなり、
女優としてもドラマ
「ひとつ屋根の下」(93年)、
「星の金貨」(95年)がヒット。
「星の―」主題歌の
「碧いうさぎ」は自身初の
ミリオンセラーとなり、
初出場したNHK紅白歌合戦では
同曲を手話を交えて熱唱した。

◆香港では広東語も 
1月の香港でのコンサートでは、
代表曲「碧いうさぎ」のほか
「世界中の誰よりきっと」を
広東語を交えながら披露。

「あなたが満ちてゆく」と
日本語で書かれた曲名の
ボードを一人ひとりが掲げ、
酒井も思わず涙を見せる場面も。

最後は
「明日へつづくラストシーン」で
締めくくった。

今後は7月6日(金)に
石川・加賀市のホテルアローレで、
翌7日(土)にはプラザオーサカで
ディナーショーを行うほか、
8月にはアジアに向けて配信する
「酒井法子チャンネル」を開設予定。



スポーツ報知5/29(火) 14:02配信

最終更新:5/29(火) 15:00


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180528-00000234-sph-ent

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碧いうさぎ



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