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高橋一生×齋藤工 映画『blank13』「ライバルはユーチューバー!?」静かに語った家族&映画のこと [高橋一生×齋藤工 静かに語った家族&映画のこと]

高橋一生×齋藤工 映画『blank13』
「ライバルはユーチューバー!?」
静かに語った家族&映画のこと

高橋一生×齋藤工.GIF

映画『blank13』は、
これまでも“齊藤工”名義で
写真家、短編映画の監督、
クレイアニメの
原案・企画・制作・声の出演、
映画情報番組のMCなど
マルチな活動を続けてきた
俳優の斎藤工の
長編監督デビュー作。

放送作家・はしもとこうじの
実話をベースにした本作は、
13年前に蒸発した
父親(リリー・フランキー)が、
ガンで余命わずか3ヶ月の
状態で見つかったことから
再び動き出す家族の物語を
描くもの。

第20回上海国際映画祭
「アジア新人賞部門」
最優秀新人監督賞をはじめ、
すでに国内外の映画祭で
高い評価を得ています。

そこで今回は、そんな話題作の
メガホンをとった齋藤工さん
(俳優として、
長男・ヨシユキ役も兼任)と、
現金輸送車の警備員の仕事を
している次男の主人公・コウジを
演じた高橋一生さんに
インタビュー。

出会いからお互いの印象、
本作に向かう姿勢やそこに
込めた思いなどを伺いました。

自分にしか撮ることが
できない映画を目指した(齋藤)

――『blank13』は放送作家・
はしもとこうじさんの実体験が
ベースになっていますが、
長編初監督作品になぜその
題材を選ばれたんですか?

齋藤:最初は映画ではなく、
完成した作品の後半の
葬儀場のシーンにあたる
コント映像の企画で、
そこがはしもとさんの実話に
基づいたものだったんです。

それが徐々に変形し、
いろんなところからの情報を
得て70分の尺があれば
海外の長編の映画祭に、
それこそカンヌなら60分
あれば出品できるということも
知っていく中で、当初目指して
いた配信という形ではなく
映画という佇まいになって
いったんです。

――セリフを極力排したり、
偶然性を狙ったり、
「既存のものではない」
自分にしか撮ることが
できない映画を目指した
ということですし、
「火葬」をテーマにしたのも
世界を意識してのことだと
テレビのインタビューで
コメントされていましたね。

齋藤:グザヴィエ・ドラン
(18歳のときに撮った初監督作
『マイ・マザー』(09)で
カンヌを熱狂させ、
その後も斬新かつ挑発的な
作品で世界の映画祭や映画関係者、
映画ファンを魅了し続けている
カナダの若き鬼才)が出てきた
あたりから、映画の文法
なんてないのかな
と思うようになって。

まあ、ジャン=リュック・ゴダール
(『勝手にしやがれ』(60)、
『気狂いピエロ』(65)などで
知られるヌーヴェル・ヴァーグの
代表的な監督)が登場したときも
そうだったと思うんですけど、
スタンダードな映画に対して、
それらのベーシックな文法
とはまったく違う角度の映画が
生まれ、亜流と主流がいたち
ごっこみたいな感じになって
いると思うんです。

でも、映画には
「絶対2時間なければいけない」
とか
「起承転結が明確でなければ
いけない」というルールなんて
本来ないはずじゃないですか。

特に今回は、さっきも言ったように、
もともとコント企画として
始まったので、ドラマ性も
後から生まれたし、
そこは平昌冬季オリンピックに
参加した韓国と北朝鮮の選手から
なる混合チームが誕生した
流れにちょっと似ているなと
自分では思っています(笑)。

虚構の作品にも“真実”が
落とし込まれる奇跡的な
瞬間があった(高橋)

――高橋さんは齊藤工監督から
主演のオファーがあったときは
どんな感想を持たれましたか?

高橋:俳優の工さんはもちろん
存知あげていましたが、
最初はなぜ僕にお話が
いただけたんだろう?
と思いました。

けれど、実際にお会いして
話してみたら僕が出演した
作品をいろいろ観て
くださっていたのが分かりましたし、
僕も工さんのお話は人づてに
聞いてはいたので、
こんなふうに繋がることも
あるんだと思い、
純粋にとても嬉しかったです。

――台本を読まれて、
俳優としてどこに面白さを
感じられました?

高橋:人の“死”が淡々と
書かれていて、本質にすごく
迫っているような気がしたんです。

作品はどれも、どこまで行っても
虚構なので、そこで求められる
芝居のリアリティって
何なんだろう?

と思うこともあるんですけれど、
虚構の作品にも“真実”が
落とし込まれる奇跡的な
瞬間があって。

その“奇跡”みたいなものを
この作品の脚本から感じましたし、

工さんが監督としてそれを
どんな風に表現されるのかと
いうことにも興味があったので、
ぜひやらせていただこうと
思いました。

―――ほかの記事で読んだのですが、
高橋さんは最初
「少し考えさせてください」
と言って一瞬躊躇されたそうですね。

高橋:お話を最初にいただいたときに、
人の死が実際に身近であったので、
芝居をするときに自分の素の
感情が出てしまうかも
しれないしと思ったんです。

それは危険なことだと思って。
作品にはとても興味があったん
ですけれど、最初の時点では
自分自身との距離をちゃんと
測れるのか自信がなかったんです。

――齊藤監督から強く
クドかれるようなことは
なかったんですか?

高橋:なかったですよ。
むしろ、僕が身近な人の死を
打ち明けたので、工さんも
さすがに強くは言えないと
思ってくださったんでしょう。

最後の方は半ば諦めかけて
いたように見えました(笑)。


けれど、最後に渡された
脚本で僕はどこか腑に
落ちるところがあったので、
タイミングだったんでしょうね。

それに、僕のことを
気遣ってくれた工さんが
人としてとても素敵な方だと
思えたので、それも出演を
後押しした一因だったような
気がします。

――高橋さんの出演は、
作品にとっても大きかったですよね。

齋藤:本当にそうです。
出演の許諾をいただく前から
台本にまつわるやりとりを
させていただいていたんですけど、
そのラリーで作品が本当に
生きたものになって。

映画の方向性や筆致が、
虚構とリアリティのバランスも
そうですけど、一生さんがい
ま感じられていることに
集約されていて、
それが完成した作品全体の
トーンや質感になったんです。

特に、主人公のコウジの
深層心理については一生さんの
名前が原案としてクレジット
されてもおかしくないぐらい
十二分に話したし、
どこか頼らせてもらったと
ころもあるので、
もし一生さんの出演が
かなわなくて、別の座組で
作ったとしても、
今回の作品に近いものに
仕上がったと思います。


一生さんと出会ったことで
人間の多面性やある種の
水っぽさみたいなものを
描くことができた(齋藤)

――高橋さんの意見や
アイデアで台本がどんな風に
変わったのでしょう?

齋藤:以前の台本はト書きや
セリフが過剰に書いてあって、
感情も文字で断定されて
いたんです。

でも、人間って悲しいときに
だけ泣くわけじゃない
じゃないですか?

一生さんと出会ったことで、
そんな人間の多面性や
ある種の水っぽさみたいなものを
描くことができたというのが
真相なので、ただ主演として
出ていただいたということ
ではないです。

作品を生み出す初期段階から
立ち会っていただいて、
見守ってくれて、
さらに僕ら製作陣やほかの
キャストを先導して
いただいたという感じです。

高橋、齋藤にとっての「家族」
という存在

――『blank13』は親や家族に
ついての映画でもありますが、
おふたりにとって家族とは
どういう存在ですか?

家族はかけがえのないもの
ですけど、時に面倒くさい側面や、
今回の映画が描いていたように
意外と知らないこともあると
思うんですけど……。

齋藤:まさにそうですね。
僕自身も家族に対してだけ
見せている面があるし、
家族が僕に見せている面も
あって、それは決して
一面ではない。

映画を撮りながらそれが分かったし、
自分も思い当たることが
めちゃくちゃありました。

高橋:家族は他人より他人かも
しれないと思います。

誰よりも繋がらなきゃいけない
人たちだけれど、誰よりも
普段の生活では接点が
ないですから。


高橋と齋藤は同世代

――斎藤さんと高橋さんは
同世代ですけど、同世代同士
ということは意識していましたか。

齋藤:結果的にプロデューサーの
小林(有衣子)さんも、出演して
音楽も担当してくれた
金子ノブアキさんも、
編集や音響効果のスタッフも
同世代だったから、
現場では同じ時代に体感した
カルチャーなどが確かに
共通言語になることはありました。
それは仕上げの段階でも
強く感じました。

ただ、一生さんは、同世代と
いうことだけでは括れない
稀有な方だから、
年齢的なことはあまり
意識したことはなかった。

ただ、会話の中でヒントに
なる言葉をいただくことが
けっこう多くて、中でも
『インディアン・ランナー』
(91)というキーワードは
大きかったです。

自分も大好きな作品で、
俳優のショーン・ペンが
映画のディレクションを
しているという意味合いも
含めて、自分が目指す
方向性が見えたんです。

金子とも音楽の打ち合わせの
ときにニール・ヤングの話に
なったけれど、それぞれの
琴線に引っかかった
共通の何かが、言葉では
できない会話を成立させて
いたような気がします。

高橋:僕も工さんのことを
最初から俳優として
認識していたので、
年齢が近いとか、
同世代だからといった
スタンスでは現場に
臨まなかったです。

ひょっとしたら、
無意識の中で同世代として
合致していたところも
あるのかもしれないけれど、
とてもフラットだったと
思います。

ライバルはユーチューバー!?

――先ほどグザヴィエ・ドランの
名前も出ましたけど、
齋藤さんの中には下の世代への
影響を考えたり、上の世代が
作ったものに挑戦するような
気持ちもあったのでしょうか?

齋藤:そんな作為があったわけ
ではないですけど、いまの僕は
映画界の先人より、
ユーチューバーをライバルと
思いたい。

2時間の尺が暗黙のルールに
なっている映画と違い、
エスプレッソコーヒーの
ように抽出した“旨味”だけを
短い映像に閉じ込め、
それをユーザーが鋭い臭覚で
感じとっていくYouTubeは
素晴らしいメディアだと思います。

『blank13』も最終的に70分と
いう尺になって、
それがこの作品に必要な時間
だったわけですけど、
それは尺が事前に決まっている
多くの映画の制作の流れとは
逆の成り立ち。

でも、僕は決め事を作らず、
そうした自然な流れの中で
映画を作ることができて
本当に嬉しかったですね。

高橋×齋藤「お互いの魅力」とは?

――今回初めて、監督と主演
としてご一緒したお互いの
魅力、シンパシーを感じられた
ところなどを教えてください。

齋藤:年齢では括れないと
先ほども言いましたけれど、
一生さんは手前ではなく、
奥に魅力がある方なんです。

現代は多くのものが、
表現も含めて手前、
手前にある(分かりやすさ
ばかりが求められる)
世界だと思いますけど、
一生さんは奥行き感が
果てしない。

一緒に並んでいても、
ちょっと違うんです。

高橋:一緒ですよ(笑)。

齋藤:いやいや(笑)。

映画とドラマという
線引きはあまりしたく
ないんですけど、
一生さんは本当に
映画的な方です。


詩的な方だなとも思うし、
表現していないときの
一生さんには観る側が
思考や想像を増幅できる
日本の伝統芸能みたいな
魅力がある。

だから、海外の映画祭でも
外国人の観客が一生さんが
作ってくれた心情の余白に
感情移入してくれて、
『blank13』を自分の物語と
してとらえてくれた。

そういった意味で、
詩の世界の方。

真似をしたくても、
まったく持って手が届かない、
代わりがきかない方です。

高橋:そんなことないです(笑)。

工さんが見られているのは
たぶん居住まいだと思うん
ですけれど、居住まいは
どうしても正すことができないし、
修正がきかないものです。


僕はお芝居に上手いも下手も
ないし、人柄は肉体や顔に
出てしまうと思っているけれど、
そういった意味では俳優業も
映画監督も最終的には
人柄なんだと思っていて。

俳優の「俳」という字は
「人」に「非」ずと
書くけれど、裏を返せば、
人であるということを
ちゃんとやっている俳優は、
それがその人の居住まいに
しっかりと出てくる。

いまのお話を聞いても、
工さんが誠実な人だという
ことがよく分かると思います。

それは工さんをいろいろな
メディアで見る度に思って
いたことではあるので、
ご一緒できて本当に
よかったです。

自分と合う、合わないと
いうこともあるでしょうけれど、
工さんはきっと僕がとても
愛せる人柄をお持ちなんだと
思います。

僕個人としてはもちろん、
同じ俳優としても、
監督としても大事にして
いきたい人です。

高橋&齋藤が
「最初に衝撃を受けた映画」
とは?

――おふたりは思考が
何となく似ていますよね。

齋藤さんが映画好きなことは
周知の事実ですし、高橋さんも
齋藤さんが先ほど言われたように
映画的な空気を纏っている
ような気がするのですが、
おふたりが最初に衝撃を
受けた映画を最後に
教えてください。

高橋:僕は『ガタカ』(97)です。
中三のときに観たんですけれど、
SF映画と呼ばれるもので
人間が描けるということが
衝撃でした。

齋藤:僕は
『チャップリンの独裁者』
(40)です。

チャールズ・チャップリンが
床屋のチャーリーと
アドルフ・ヒトラーを
想起させる独裁者ヒンケルを
ひとり二役で演じているんで
すけど、ちょび髭のおじさんが
笑わせてくれるそれまでの
チャップリンの映画と
テイストが違っていたし、
最後の6分ぐらい続く演説の
シーンはチャップリンの
魂の叫びだと思いました。

もちろん、最初に観たときは
小学生だったので、
意味は分からなかったんで
すけど、あの演説は
何だったんだろう?って、
ずっと頭に残っていて。

僕がその後に通った演劇の
学校はチャップリンの映画を
題材に教えてくれたから、
そこでチャップリンが
ヒトラー政権に懸賞金を
かけられながら、
それでも映画を撮っていた
という背景やこの映画の
影響力を知って。

映画がただの娯楽ではなく、
その奥にはジャーナリズムの
精神やメディアとしての側面も
あるということを、
「悲劇と社会性」
みたいなことと一緒に
学んだので、とても印象に
残っています。



昨今の日本映画は
分かりやすさばかりを追い求め、
観た人が同じように
感動できたり、
答えが特定されるものが
主流になっている。

でも、人と人との出会いや
心の交流と同じように、
映画は本来、観た人
それぞれに感想や印象、
感動や衝撃が違うのが
当たり前のもの。

観た人が対峙した映画から
何かを読み取ったり、
想像したり、勝手に
誤解して違う物語を
妄想したってかまわない。

フィルムからデジダルに
変わったように、
長い歴史の中で制作の
スタイルの違いも
変わった映画は、
カタチも自由で常に
表現の可能性を広げている。

今回のインタビューで、
齊藤工と高橋一生はそんな
新しい時代の映画の
申し子なのだと思った。


映画や芝居についての確かな
言葉、醸し出す空気がとても
似ていて、ふたりが愛して
やまない“映画”の輪郭が
何となく浮き彫りに。

それを具現化したい
映画『blank13』を観て、
あなたは何を感じ、

どんなことを思うだろう?

彼らの魅惑のコラボから
誕生した映画を、
ぜひ自分の脳内で
完成させてみて欲しい。

『blank13』シネマート新宿にて
上映中 2月24日(土)より
全国順次公開


ウレぴあ総研更新日:2018/02/25

https://gunosy.com/articles/aWFth

映画『blank13』予告編



【ノーカット】映画『blank13』初日舞台挨拶




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