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尾崎豊の死から25年、尾崎裕哉は父を乗り越えることができるのか〈dot.〉 [尾崎裕哉は父を乗り越えることができるのか]

尾崎豊の死から25年、
尾崎裕哉は父を乗り越える
ことができるのか〈dot.〉

尾崎裕哉4.GIF
Photo by Kenji Kitazato

衝撃の死から
25年経った今でも、
尾崎豊の曲は今でも
歌い続けられている。

一方、息子・尾崎裕哉は
偉大なる父と同じ音楽の道を
歩み始めた。

個人的な親交のある
音楽ライターの大友博さんが、
尾崎裕哉の可能性を語る。

* * *

文化の日の11月3日、
東京国際フォーラム・ホールCで
尾崎裕哉のコンサートを観た。

大阪・愛知・東京・千葉を回る
『SEIZE THE DAY 2017』
ツアーの3日目となるもので、
約1500人収容の会場は満員。

大半が現在28歳の裕哉と
近い年齢の人たちのようで、
やや女性が多いかな、
という印象だった。

あらためて紹介しておくと、
尾崎裕哉は、1989年7月24日、
尾崎豊の長男として
東京に生まれている。

92年春、2歳のときに父親が急逝。

5歳から15歳までは米国東部の
ボストンで過ごし、帰国後、
アメリカン・スクールをへて
慶応大学環境情報学部に進み、
2015年春、大学院の過程を終えた。

この間にいくつかの可能性を
模索しつつ、FMのパーソナリティ
も務め、また、実験的な映像作品の
制作などにも取り組んでいる。

そして、最終的にはやはり、
音楽の世界に挑戦する、
というか、音楽を通じて
さまざまなメッセージを
発信していく道を選ぶことに
なったと思われる裕哉は、
昨年秋、「始まりの街」で
シンガー・ソングライターとして
本格的な第一歩を踏み出し、
今年に入ってから
『LET FREEDOM RIDE』
『SEIZE THE DAY』と
2枚のEP(Extended Playの略。

マルチ・シングル、
ミニ・アルバムなどとも呼ばれる)を
発表している。

NHKでドキュメンタリーが放送され、
民放の音楽特番や各地の
フェスティヴァルに招かれるなど、
メディアでの注目度も高い。

その日のコンサートで尾崎裕哉は、
「始まりの街」
「サムデイ・スマイル」
「シアワセカイ」、
EP『SEIZE THE DAY』の
メイン・トラック
「Glory Days」など
オリジナル曲のほとんどを歌った。

尾崎豊の作品からは
「僕が僕であるために」
「シェリー」
「街の風景」の3曲。

さらに、やや意外な選曲では
あったものの、さだまさしの
「雨やどり」を弾き語りで
聞かせたりもした、
約2時間のステージだった。

バンドは裕哉を含めてギター×2、
キーボード、ドラムス、
ギターの5人編成。

その後方下手に大きな額縁が
少し斜めになった感じで
架けられている。

なかなか凝ったデザインの
ステージで、開演直後、
そこにドラクロワの
「民衆を導く自由の女神」と
思われる絵が浮かび上がった。

さらに舞台中央には、
女神が手にしているものに似た、
赤いフラッグ。

『SEIZE THE DAY』、
つまり
「自らの手で大きなものを
つかみ取ろう」といった
メッセージがヴィジュアル面
でも明確に打ち出されていた。

昨年春に新宿ではじめて
彼のライヴを観たころは、
オーディエンスやメディアの
関心が「父親との関係」に
集中しすぎているような
印象を受けたものだ。

まさに老婆心ながらという
感じで少々心配してしまったのだが、
東京国際フォーラムの客席は
どの曲にも同じように反応していた。

途中、裕哉のヴォーカルが
途切れると(歌詞忘れ?)
すぐにファンが歌いはじめると
いうハプニングもあり、
正直なところ、驚かされた。

父親が大きな存在であっただけに、
彼が大切にしていたことを
受け継ぎながら、自分らしい作風、
声、サウンドを手にするまで
にはいろいろと葛藤や悩みが
あったに違いない。

昨年夏出版の
メモワール『二世』(新潮社)でも
少なからず触れられていた
ポイントではあるが、もうその壁は
乗り越えてしまったようだ。

年末には弾き語りのツアーが
予定されているそうで、
最初のフル・アルバムの構想も、
すでに固まっているのかもしれない。

尾崎裕哉とは、11年の2月、
ある音楽イベントの取材で
はじめて会い、その後、
13年春から15年春まで、
ちょうど大学院で学んでいた
時期にインターFMで
パーソナリティを務めた
『BETWEEN THE LINES』と
いう番組をスーパーヴァイザー的な
立場で手伝った。

ニール・ヤングの
「WORDS/歌う言葉」の
歌詞からタイトルのヒントを
いただいたこのプログラムは、
新旧・有名無名を問わず
広い意味でのロックの分野から
選び出した1曲を裕哉自身が
日本語に移し変えて
(単純な翻訳ではなく、
解釈といったほうが
いいかもしれない)、
その文章を朗読し、
テーマにあった曲を
何曲かかけるというもの。

どの曲を取り上げるかは
基本的にすべて任せていたが、
たとえばエド・シーランや
ジョン・メイヤーといった
タイプの人たちばかりでなく、
ボブ・ディランや
フランク・シナトラの曲を
選んでくる回もあり、
その守備範囲の広さに
しばしば感心させられた。

日本ではまだほとんど
知られていなかった
ジェイムズ・ベイの
「スティーリング・カーズ」や、
ホージアの
「テイク・ミー・トゥ・ザ・
チャーチ」など、番組づくりを
通じて彼から教えてもらった曲も
少なくない。

2年間で約100回。

けっこうたいへんな仕事だったとは
思うが、あの体験はなんらかの形で
現在の曲づくりにつながっている
のかもしれない。

背伸びをせず、ブールスやジャズ、
ヒップホップの要素も柔軟な姿勢で
取り込みながら誠実な言葉を
歌っていくその姿を目にして、
そんなことを思ったりもした。

最後に、ギターに関して少々。

尾崎裕哉は、ボストン時代、

ごく自然にギターを弾きはじめ、
短期ながら名門バークリー音楽院でも
学んだという。

何度か近くで目撃したことが
あるのだが、強く刺激された
というスティーヴィー・レイ・ヴォーンの
「レニー」、あるいは
ジョン・メイヤーの「ネオン」と
いった難曲をさらりと弾かれてしまい、
軽い嫉妬を覚えたりもしたものだ。

ギターそのものへのこだわりも
強いようで、今回のライヴでは、
フェンダー・ストラトキャスターの
ジミ・ヘンドリックス・モデル、
ジャズマスター、ローズウッドの
テレキャスター、
ポール・リード・スミス、
マーティンのアコースティック
OM-28などの名器を曲にあわせて
つぎつぎと持ち替え、
いい音を響かせていた。

かつて尾崎豊が愛用していたものと
思われるローズウッドの
テレキャスターを弾きながら歌った
「僕が僕であるために」は、
とくに印象に残った。
(音楽ライター・大友博)



AERA dot. 11/12(日) 16:00配信

最終更新:11/12(日) 18:31

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171109-00000009-sasahi-musi&p=1
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171109-00000009-sasahi-musi&p=2
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