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南野陽子さん、45歳頃に体調変化…「来た、来た!これが更年期?」 [南野陽子さん、45歳頃に体調変化…]

南野陽子さん、45歳頃に体調変化…
「来た、来た!これが更年期?」

南野陽子.GIF
南野陽子さん

トップアイドルから大人の女優へと
しなやかに転身した南野陽子さんに、
いつまでも変わらない輝きの秘密や、
これからの年齢の重ね方について
伺いました。

(聞き手・本田麻由美、撮影・秋山哲也)

50日間で7、8キロ減量…骨粗しょう症に

――芸能界デビューは18歳のときですね。

アイドルとしては、スタートが決して
早くはなかったそうですね。

そうですね。当時もアイドルは
中学生ぐらいで芸能界入りすることが
多かったので、そうした女の子の中で、
私はちょっとお姉さん格でした。

同期のアイドルとは、
あまり話ができなかったかも
しれませんね。

――アイドルから女優へと、
ずっと忙しい日々が続いてきたと思います。
人に見られることを仕事にされてきましたが、
10歳代や20歳代の頃と今では意識の
変化などはありますか?

私がこの世界に入ったきっかけは
スカウトでしたから、
もともと
「あれがやりたい、これがやりたい」と
芸能界に対する強い希望を
持っていたわけではありませんでした。

もちろん、人から見られることを
意識なんかしていなかったです。

当時はもっとぽっちゃりした、
あまりぱっとしない女の子だったので。

だから、デビュー後は、いきなり
世界が変わったような気がしましたね。

デビューが決まったとき、
周囲の友達に「ナンノがデビュー?」
「ナンノがアイドルになれるんやったら、
私ら誰でもなれるわな」とか
言われたほどでしたよ。

――それは意外ですが、芸能界、
とくにアイドルとなると体形などにも
気を使わなければならないのだと思います。
何かご苦労はあったのですか?

当時、
「デビューまでに5キロ痩せてきて」
みたいなことは言われました。

ただ、それを
「今、自分を変えるときだ。
変われるチャンスだな」と考えました。

東京に行ってデビューするという
新しい目標ができたことで、
性格も前向きに変えられそうな
気がしたんです。

「きちんとした、優しい人でありたい」
などの目標をもちましたが、
同時に「ダイエットもしなきゃ」と
考えました。

これまでに、しっかりした
ダイエットは2度やっています。

デビュー時期の17、18歳のときと、
AIDS(エイズ)がテーマの
映画「私を抱いてそしてキスして」
(1992年)の主演をしたときです。

撮影期間が迫っていたこともあり、
ほとんど何も食べずに、
50日ぐらいで7、8キロ落としました。

それで骨がもろくなる
骨粗しょう症にもなってしまって。

――それは健康的なダイエットでは
ありませんね。
仕事の関係で体に負担をかけなければ
ならないときもあったとは思いますが、
活躍を続けるためには元気でいる
ことも求められると思います。

若い頃は、徹夜が続いても、
厳しいダイエットをしても
気持ちもカラダもなんとかなった。

寝なくても平気とは言いませんが、
とにかく「走れ、走れ」でした。

仕事もうまくいっていたし、
責任感も問われる。

多くの人の生活や想(おも)いも
背負って走るのが日常でした。

それが、20歳代後半になったときに
「さあ、ここから自分をどうつくる? 
どういう自分になりたいか」を
考え、悩みましたね。

――20歳代後半がしんどかったのですか?

そうですね。

時代が変わって、
以前に比べて歌番組も減りました。

その頃、私の場合は事務所からの
独立が重なりました。

きれいなドレスを着たアイドルが
喜んでもらえる時代から、
歌を聴かせる時代になってくると、
もう「お呼びでない」みたいに
感じたりして。

仕事が少なくなったりした
時期にはメンタルがきつかったですね。

それに、女性は20歳代後半とか
結婚適齢期がくると、
ほかの女性との比較をするように
なるじゃないですか。

――結婚とか、ほかの女性と比べちゃう?

そうです。

「誰々ちゃんはもう結婚した」

「母親になった」とか。

仕事の面でも
「誰々ちゃんが一般職からどうなった」
とか。
そんな比較をしたり、
されたりすることで、
焦りを感じたこともありますよ。

でも、40歳頃になると、
精神的にはすごく楽になりました。

どうあがいても自分は自分。
自分にはこんなにだめな部分が
あるのだということが身をもって
分かるようになるし。

――ご自分でだめだと感じたのはどの辺り?

器用じゃないし、
自信があまりなく途中で諦める。

強がるけど怠け者なところも……(笑)。

でもそんな自分を知って諦めると、
人をとても理解できるし、
甘えたり任せたりできるように
なりました。

――それはいい諦めというか、
ある種の踏ん切りがついたって
ことじゃないですか?

その通りです。

20歳代、30歳代って、
いわば主役の年齢です。

私が、という意味ではなくて、
誰もが自分の人生の中で
「主役」として生きている
時期だと思うんです。

それが40歳ぐらいになると、
母親になっていたりして、
主役の座は娘だったり、
夫だったり。

親の介護もあったりして、
自分が人生の主役じゃなくなるのですよ。

でも、そうしたとき、個人的には
役者としてドラマに参加することが
気分的に楽になりましたね。

自分よりも若い人を
思い切り盛り上げてあげよう、
みたいな気持ちに変わりました。

ハイヒールが怖くなるという感覚も…

南野陽子1.GIF
南野陽子さん

――気持ちが切り替えられたわけですね。

人と自分の違いを認めて、
ちゃんと許せるようになりました。

それに、女性は体調的にも45歳頃で
ガラリと変わりますよね。

私の場合、それまでは4年に
一度ぐらいの頻度で加齢を
実感していたのですが。

「私はオリンピックとともに
年を感じるな」なんて思いました。

それが、45歳ぐらいになったとき、
ガタンと何かが一気に変わった
気がしました。

――どんな体調の変化を実感したのですか?

いろいろですよ(笑)。

やっぱり白髪、老眼、
肩や背中の痛みなどが出てきますよね。

日によっては更年期の入り口
みたいな感覚もありました。

気分が重い、頭痛がするなど、
「なんとなく」の不調を
感じるようになりました。

――なるほど。何かしら
「もあ~ん」とする感じですね。

でもね。

そうはいっても、
私はそれを楽しみに待っていた
部分もあるのです。

――楽しみに待っていた、とは?

もしかしたら私は変わっている
のかもしれませんが、
昔から年を取るのが嫌では
なかったのです。

だから、
「お、来た、来た!これが更年期か!」
みたいな気分でしたね。

老眼で目がぼーっとしたときは
笑ってしまった。

そう言うと語弊があるんですけど、
「ああ、これが老眼か」と。

「なるほど、ハイヒールが
怖くなるという感覚はこれか!」
みたいなね。

そういうのが嫌じゃなかったです。

――何だか、オトナの余裕みたいなものを
感じますね。

更年期に限らず、誰もが年を取ります。

そうなると、みんな若づくりというか、
若ぶろうとして自分の過去のまねをする。

でも、
「いやいや、どうせだったら、
未来のまねをした方がいいん
じゃないのかな」と
思っているのです。


南野 陽子【みなみの・ようこ】

南野陽子2.GIF
南野 陽子【みなみの・ようこ】

1967年、兵庫県伊丹市生まれ。

1985年に「恥ずかしすぎて」で
歌手デビューし、
「楽園のDoor」
「はいからさんが通る」
「吐息でネット」などで
オリコンシングルチャート
9作1位を記録した。

女優としても、デビューと同時に
テレビドラマ「時をかける少女」
「スケバン刑事II少女鉄仮面伝説」
に主演。

これまで250作以上のドラマや
舞台などに出演し、
映画では「寒椿」
「私を抱いてそしてキスして」
(ともに1992)で
日本アカデミー賞優秀主演女優賞、
「三たびの海峡」(1995)で
横浜映画祭助演女優賞を
受賞した。

2008年にファッションブランド
「Actress Princess」を立ち上げた。

2月に昨年のデビュー30周年記念コンサートを
収録したBlu-ray&DVD
「NANNO 30th & 31st Anniversary」を発売。

5月から6月にかけて全国8会場で上演される
「音楽劇 大悪名 ~The Badboys Last Stand!~」

http://www.co-colo.com/live/2017daiakumyou/daiakumyou.html
に出演する。

読売新聞(ヨミドクター) 5/12(金) 12:10配信

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170512-00010000-yomidr-soci&p=1
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170512-00010000-yomidr-soci&p=2



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