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Chara、紆余曲折の25周年「つらい時期も歌い続けた」 [Chara、紆余曲折の25周年 つらい時期あった]

Chara、紆余曲折の25周年
「つらい時期も歌い続けた」

Chara2.GIF


デビュー25周年を迎えた歌手のCharaが、
初のオールタイムベストアルバム
『Naked&Sweet』を発売。
常に第一線で活躍し、唯一無二の
ウィスパーボイスで多くの人を
虜にしてきた唯一無二の歌声の
誕生秘話、母としての想いに
ついて語った。

◆「歌、下手だなー」って思うことはある
――映画『スワロウテイル』では
YEN TOWN BANDの名曲
「Swallowtail Batterfly~あいのうた~」も
生まれましたが。
ソロとバンドの活動は違いましたか?

【Chara】まったく違いました。
バンドのときも自分の意見を言うし、
曲も書いたりしているけど、
YEN TOWN BANDは小林武史さんっていう
サウンドプロデューサーがいて
作詞作曲もしてくれますからね。

そんなのが2人いると楽しいですよ、やっぱり。

――このときは映画にも出演して
強烈な存在感を放っていましたが、
女優業の印象は?

【Chara】昔すぎてあまり覚えてないけど、
本当の女優さんならあんなとぼけた
セリフの言い方はしないんだろうなと(笑)。

でも、愛を歌うっていう意味で共通点は
十分あったのと、ライブとはまた違う
チーム感を体験してすごくパワーを
もらいました。

だからこの頃は無敵感があったのを
覚えている。

その分、ここぞとばかりに働かせられたって
記憶もあるけど(笑)。

――音楽を辞めたいと
思ったことはないんですか?

【Chara】辞めたいはないけど、
「歌、下手だなー」って思うことはある。
「あれ、ちょっとおかしいゾ、待って」
みたいな(笑)。

元々、私は歌うたいになるためじゃなく、
曲を作るのが好きで音楽を始めたんです。

どっちかというと裏方というか。

楽器の演奏とか作曲することが好きで、
サウンドプロデューサーに憧れていたから、
自分が真ん中で歌うと思っていなかった。

それが19歳ぐらいから歌手になるって
決断してやりだしたんですけど、
今でもときどき「うわ、歌、下手!」って
びっくりする(笑)。

ただ、私は声も楽器と捉えていて、
最近は自分がヴィンテージの楽器だなって
思っているんですよ。

――なんかカッコいい(笑)。

【Chara】30年以上歌ったら、
もうヴィンテージじゃないですか。

なのでメンテとか、マイクとの相性とか、
機材のことを知るとか、
メンバーとのやりとりとか、
いろんなこと擦り合わせていく必要がある。

その上で、自分の耳は一応、
信じているので
「じゃあ、こういう音にしたいです」って
Charaプロとして考えるわけです。

例えば一輪挿しのお花でも、
花瓶の選び方とか挿し方で、
まったく見せ方は変わるでしょ。

それと同じでどんな状況で歌います?
みたいな、そういう意味でのプロデュース力、
全部をひっくるめてCharaプロとしては
助けてあげることが大事だと思うし、
そのために声をいろいろ使っていくって
感じなんです。

――Charaさんの声だけは未だに唯一無二。
似ている人も出てこないですからね。

【Chara】いやいや、それはさっきも言った
ようにうまくないからです。

ただ、作曲力はあるから、このメロディ、
このラインがいいってところが優先で、
そこを歌うために本当に必死っていう(笑)。

◆Charaボイスの誕生は、夜中にヘッドホンを
つけて歌っていたから
――ご自身の声を客観的には
どう捉えていますか?

【Chara】好きか嫌いかっていったら
嫌いもありますよ。

でも好きな方が上になるようにしている。

嫌いなところもたくさんあるけど、
そこまで考え過ぎないほうがいいかなと。

――そもそも、Charaボイスは
どうやって誕生したんですか?

【Chara】最初は誰かの歌をカバーして
歌うとかじゃなく、自分で作った曲が
先にあって。

で、誰も歌ったことがないから、
まず自分で声を入れてデモテープを
作っていたんです。

そのときは、夜中にヘッドホンを
つけて歌っていたので
「(小声で)はぁー」とか、
ウィスパーが多くなったっていう。

――独りで夜中にコソッと歌っていたので、
自然にウィスパーになったと。

【Chara】しかも、最初の曲なんて泣きながら
歌っていたと思いますよ。

失恋して朝方帰ってきて、鍵盤でも
弾こうかってなって感じで曲ができたから。

――さすがアーティスト!

【Chara】ひと筆書きなんです。
でも、それがいいって言われてデビューの
きっかけになったんですよね。

◆精神的にはバランスが崩れた時期も歌い続けた

――振り返りに戻りますが、25年の中で一番、
辛かった時期を挙げるなら?

【Chara】前の事務所を辞めたのと離婚が
重なった時期かな。

どっちも突然、終わりになったわけでは
なかったけど、別れが重なって
精神的にはバランスが崩れました。

でもそのときも歌い続けたんですよ。

そこは自分でもがんばり屋だなと思う(笑)。

しかも、その頃、レコード会社に所属せず
自宅でレコーディングしていたんだけど、
インディーズってものに憧れまして。

今ならできるじゃん、合間に曲を
出しちゃえ、みたいな。

元気のないときだったけど、
それはそれで雰囲気が出ていて、
悲しげ~なアルバムを1枚作りました(笑)。

歌っていたら元気が出てきたし、
つらいときでも笑っているとそういう
気持ちになってくる。

口角上げて、無理やり笑って行こうみたいな
気分になってくるから、どんなときも
歌っていたのは間違いじゃなかったんだなと
思います。

――Charaさんはよく履歴書に
「女」って書きたいとおっしゃっていますが、
こうして歴史を辿っていると本当に
女性ならではの逞しさやしなやかさを感じます。

【Chara】お母さんになってから、
それはあったかも。
守らなきゃいけないって存在があると、
しゃんとできるからね、
ありがたいことですよ。

――最近は長女でモデルのSUMIREさんと
一緒にメディアに出る機会も増えましたが。
親御さんとして娘さんがこの世界に
入ることをどう思っていますか?

【Chara】彼女はまだ大学生だから、
芸能界に入りたいって感じじゃないんです。

しかも、本人は意外とマジメでシャイなわけ。

ただ、子供のからファッションには
興味があって今もそういう大学に
行ってブレていないから、モデルの
お仕事もファッションが好きだからってこと
じゃないかな。

だから、それが芸能界ってなると、
本人は「違う」って思うかもしれない。

――CharaさんとSUMIREさんの関係は理想の親子、
憧れの母娘に見えます。

【Chara】いや、フツーのお母ちゃんと娘ですよ。

――今後の夢や目標は?

【Chara】最近、意外と人生って短いんだなって
半分ぐらい折り返しているので
実感するんですよ。

私は、幸せになるために歌い始めたので、
健康だったら、たいがいのことはできるん
じゃないかなと。

子供たちも自分も元気でとりあえず淡々と、
その上で自分は進化系なのでいろんな人と
コラボして影響を受けたり、若い人たちに、
何かヒントを与えられる役割が
あればいいなと思う。

音楽を通じてそれをやっていきたいから、
すべて惜しみなく出す、みたいな。

そういう意味でこれからも
“ネイキッド”だなと思いますね。

オリコン 11/19(土) 8:40配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161118-00000374-oric-ent

Chara「Swallowtail Butterfly~あいのうた~」
1997 AKASAKA



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