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中居正広「SMAPのエースは木村」、挫折から生まれた“リーダー観” [中居正広]

中居正広「SMAPのエースは木村」
挫折から生まれた“リーダー観”


中居正広4.GIF

かねてから野球に関する知識や愛が
深いことで知られる中居正広。

中居が野球にのめり込むきっかけは、
今は亡き、父の正志さんの影響だ。

子どもの頃、父がよくテレビで野球を
見ていて、一緒に並んでなにげなく
見ていて夢中になった。

それからは、自他ともに認める
野球少年で、小学生のときは、
生活のすべてが野球の練習だった。

当時の生活サイクルは、
毎朝6時に起床、ニュースを観て、
素振りと壁打ちをやる。

出社前の正志さんが最後の一球を見て、
「今の球はいい」と言ってから、
家を出る。
その後、中居は朝食を済ませ、
ランドセルを背負い、
ランニングを兼ね走って学校へいく。

授業を受けた後、野球をして、
帰宅するのは午後6時頃。

それから午後9時ぐらいまで
ラジオでナイター中継を聴いて、
その後は素振りをする。

毎日がその繰り返しだった。

神奈川県内の鵠沼から辻堂に
引っ越した後も、所属していた
野球チームの練習に参加するため、
自転車で30~40分もかけて
練習に通っていた。
そのかいがあってキャプテンに
なったが、ひじを故障してしまう。

手術すれば治るケガだったが、
兄弟3人と両親合わせて5人の家庭は、
常に経済的に切迫していたため、
やむなく断念。

これで
「大人になったらジャイアンツの選手に
なりたい」
という夢を諦めたという。

中居の左手の手のひらには、
今でも小学生のときに作った
マメの痕が残っているという。

夢を断念した中居は、中学時代、
不良グループとつるむようになった。
そんな中学2年生のとき、
ジャニーズ事務所に履歴書を送ると、
合格。

履歴書に「野球好き」と書いたことが、
同じく野球好きとして知られる
ジャニー喜多川社長の目に
留まったようで、後楽園球場で
開催されていた
「ジャニーズ野球大会」
に出ることになった。

「芸は身を助く」ではないが、
野球をきっかけにジャニーズ生活を
スタートさせた中居。

SMAP結成後は、2013年の
「第三回ワールド・ベースボール・
クラシック」で、日本野球機構から
史上初めての公認サポーターとして
抜擢された。

中居は自分のハングリー精神や
協調性は野球から学んだと語り、
それがその後の人生の役に
立ったと感謝しているという。

SMAPが日本を代表する
スーパーアイドルになったのも、
野球で学んだ中居の采配が
あるのかもしれない。

「自分ではなく、木村拓哉が
グループの要でいたほうがいい」

「SMAPのエースは木村」と、
かなり早い段階で事務所に
提言していたのは、他ならぬ
中居だったそうだ。

野球をしていた頃にも、
「自分が4番ピッチャーじゃない
ほうが、チームは強くなる」
と判断し、身を引いた経験もある。

その結果、SMAPという
グループが大きく成長したのは、
日本中が知る事実だ。

そこまで深い信頼関係で結ばれていた
グループがバラバラになって
しまうのは、なんとも悲しい
結末である。

日刊大衆更新日:2016/09/07

https://gunosy.com/articles/aai2Z



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