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山Pと錦戸を引き留めようと始めた作家業が転機…NEWS加藤シゲアキ独占インタビュー [加藤シゲアキ]

山Pと錦戸を引き留めようと始めた作家業が転機…NEWS加藤シゲアキ独占インタビュー
NEWSのメンバーで、小説家の肩書も持つ
加藤シゲアキ(28)。

TBS系「白熱ライブ ビビット」の
金曜レギュラーとして活躍しているが、
転機となったのは2012年の
「ピンクとグレー」での作家デビューだ。

その裏には、グループを脱退した山下智久(31)、
錦戸亮(31)を引き留めようとしたメッセージが
隠されていた。

8月の日本テレビ系
「24時間テレビ39 愛は地球を救う」では、
09年以来2度目となるメインパーソナリティー
を務める。

「4人で帰ってきたことはうれしい。
みんなに感謝したい」と喜びを口にした。

今や加藤が出演するビビットの体感コーナーが、
金曜企画の“売り”になっている。

生活に密着した話題を取り上げる中、
鍋料理や立ち食いソバといった“食”を
扱う機会が多い。

料理上手は業界でも有名だが、
始めたのは意外な理由からだ。

「出無精なので出かけて食べることはしないし、
人見知りだからデリバリーも頼まない。
結局、一人で作った方が楽かなって思ったのと、
体を絞ったりするには自炊するのが一番良かった。
仕事が夕方からだと昼間は自炊。
冷蔵庫に残っているものでパパッと
作っちゃいます。もう主婦感覚ですね」

料理にのめり込んだのは、加藤の個性が
影響しているようだ。

何事も突き詰めていく理系的性格が料理に
向いていたのかもしれない。

「元々、栄養やカロリーとかを調べたりするのが
好きなんです。遡ると小学校時代から理科の
実験が好きで成績が良かった。
料理って実験に似ていて、これとあれを
混ぜればこうなるというのがあるでしょ。
でも失敗もありました。パスタを小さい
鍋でゆでたら、パスタが外に折れて火が
付いて火事になったとか(笑い)」

―梅干しも自分で漬けるとか。
「最初は梅酒を作っていたけど、
結局は飲まなかった。
梅干しは和歌山にUターンした友人に
『南高梅を送ってあげるから』と
送ってもらったのがきっかけ。
市販の商品は塩分20%ぐらいですが、
10%ぐらいでぎりぎり漬けている。
塩分が少ないと傷みも出るので、
水分をちゃんと出してあげるのがポイントです」

子供の頃から芸能界には興味があった。

周囲から将来の夢を聞かれる時に、
頭に浮かんだのはテレビ。

しかもいろんなジャンルで活躍していた
ジャニーズだったという。

母がジャニーズ好きの友人に相談して、
事務所に履歴書を送ったのは
小学4年の時だった。

「ジャニーズの人は芝居もやり、
いろんなモノを食べて、いろんな所に
行けていいなと思っていた。
事務所から連絡が来たのは小6の時。
中学受験が迫っていたので
『休ませてください』とお願いしたら
生意気だと見られ、悔しくて
直接ジャニー(喜多川社長)さんに
電話しました。
そうしたら『何時に来い』と。
あの頃は怖い物知らずでしたね。
社長が当時、慶応に通っていた
(嵐の)櫻井君に会わせてくれて、
受験に理解を示してくれました」

中学受験に合格してレッスンを受け始めると、
すぐにドラマ出演が決まる。

中学2年生でTBS系「3年B組金八先生」の
生徒役に抜てきされ、高校1年の時、NEWS
のメンバーとして歌手デビュー。

エリートコースを歩んでいた裏で、
人生最大のショックを味わう。

「今まで目立つところにいたけど、
山下君や錦戸君、内(博貴)君が
フロントで、自分は一番目立たない
ポジションになってしまった。
このギャップはなんだと…。
うれしかったのは最初の数か月で、
次の年にはやめたいと思っていた。
『メンバーが多くて覚えられない』と
言われ、何もできず足を引っ張っている
自分がやめようと思っていた矢先、
次々にメンバーが抜けていった」

メンバーの脱退もあり落ち着かない状態が
続いたが、07年から6人編成でNEWSは
再出発。

それも長く続かなかった。

空中分解しそうになった時に、
加藤が小説を書きたいと口にした。

「6人でやっていくうちにそれぞれ
やりたいこととか出て、メンバー同士の
気持ちにズレが出てきた。自分も
『こいつとやりたい』と思わせる何かを
身につけないといけないと思った。
11年2月15日の出来事は今でも
忘れません。
『これからの仕事の話をさせてください』と
事務所に行ったら、『君に何ができるの』と。
『物事を多角的に見られます』とか
事務所の幹部に伝えるのが精いっぱいでした…。

ネットでエッセーを書いていたから思い切って
『小説を書いてみたい』と口から出ていました」

 ―事務所スタッフの反応は。

「けげんな顔をされたけど
『じゃあ書いてみなさい』と。

さらに『あなたは長くこの世界にいるんだから、
芸能界を題材にした方がいい』とアドバイスを
受けました。

締め切りは3月31日。

ここで書けなきゃ僕は終わりと思い、
パソコンでがむしゃらに書いた。
仕上がったのが『ピンクとグレー』です」

事務所に提出した作品は出版社の手に渡った。

プロの目に判断されて出版への道筋が固まる。

6月から作業に入り、翌年1月に発売に。

山下と錦戸にグループに踏みとどまって
ほしいという願いから始めた作家業。

結果的にNEWSは加藤、小山慶一郎、
増田貴久、手越祐也の4人になってしまったが、
加藤は前を向いている。

「2人には加藤が頑張っているから残ろうと
思ってほしかった。4人になってファンから
心ない言葉もあって、もうダメだと心が
折れかけた時もあった。
でも、4人になってできた経験もある。
やっぱりファンとスタッフ、
仲間が支えてくれたからだと思う。
失ったような命だから後は頑張ってやるかと
走り続けたら、メインパーソナリティーの
声がかかった。
事務所の人から
『(24時間テレビの)お話いただきました。
NEWSで』と。
やれたらいいな、やれないだろうなと
思っていたからうれしかった。力が入ります」

―2人の脱退直後、名前を加藤成亮から加藤シゲアキに改名した。
「自分の中でつきものが取れた感じ。
引っ込み思案で、もっと目立てよという
感じではなかった。名前のせいじゃないけど、
シゲシゲと呼ばれていたから漢字で“シゲアキ”
と読めなきゃね。それまでは自分で閉じこ
もっていたし、もっとアピールしようと
思って改名しました。それが良かったかどうかは
分かりませんが、小説は映画にもなった。
何もない闇の中で、必死にもがいたら
こんな未来が待っていて良かった。
タイムスリップして、卑屈になっていた
自分に教えたい。
『お前にもこんな時代が待っているぞ、頑張れ』と」

目立ちたがり屋の少年が、挫折を味わって
追い込まれたが、身を捨てて浮かび上がった。

彼の生きざま、信念を見せられた。(国分 敦)

◆加藤 シゲアキ(かとう・しげあき)本名・加藤成亮。
1987年7月11日、広島市生まれ。
28歳。99年に日本テレビ系「怖い日曜日 友達のJ君」
でドラマデビュー。
2003年にNEWSのメンバーとして「NEWSニッポン」
でCDデビュー。
10年にテレビ東京系「トラブルマン」で連続ドラマ初主演。
10年に青山学院大法学部卒業。
11年、活動名を加藤成亮から加藤シゲアキに。
12年1月「ピンクとグレー」で小説家デビュー。
現在、TBS系「白熱ライブ ビビット」の
金曜日レギュラー、日本テレビ系「変ラボ」で
司会を務めている。身長175センチ、血液型A。


スポーツ報知 5月6日(金)15時2分配信


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160505-00000170-sph-ent
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